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★ アフリカの月と太陽 2003 ★
2003/12/31
大晦日、局長のはからいで年末年始休んでいいぞということになったので、同期の村落開発隊員Y宅を訪れた。Kounghuel(クンゲル)という小さな町で年越しを過ごすことにした。ダカールから東に約500km。乗合タクシーで休み無く走りつづけて約6時間。夕方到着し、酒を飲みながら1年をふりかえった。年越しの瞬間は何かあるかなと町をぶらぶらしてみたけど、特に何事も無く、静かだった。僕らはバオバブの木の上で2004年を迎えた。
みなさま、今年1年、お世話になりました。
2003/12/30
日本時間13時10分(セネガルの明け方4時10分)、日本のラジオに出演した。約10分間、あっという間に終わっちゃうものだなあと思った。
たくさん話したいことがあったけど「食事に誘おう」と「挨拶が長い」の2つくらいしか話せなかった。
それでも、放送前や放送後に、多くの方から「楽しみにしてます」とか感想メールを頂き、感謝いたします。僕も楽しめました。ありがとうございました。
→
日本のラジオでセネガル紹介
参照
2003/12/29
PC不具合の原因をネットで探したが、よく分からない。ノート用のリカバリCD(Win98)で再インストールしても立ち上がらず、同じディスクに市販のOS(Win98)を追加する形で入れたら起動できた。なぜ?きちんと立ち上がるも、ソフト類、デバイスドライバ類はリカバリ用、初期画面は市販用。。不可解だが、きちんと動作しているのでOK、かなあ?
2003/12/28
環境教育隊員Kさんらとラングドバルバリ国立公園へ。毎月行われている野鳥の生態調査団のボートに同行させてもらった。公園の職員の方に説明を聞いたり、ペリカンなどのたくさんの渡り鳥を間近に見ることができた。僕は野鳥のことはぜんぜん詳しくないけど、自然の中で過ごすのは気持ちがいい。
夕方ダカールに戻り、クスクス(粟の粉を蒸してトマトソースをかけたセネガル料理)とビールで夕食。盛りだくさんの週末だった。
2003/12/27
サンルイを散歩した。大人用映画館を発見、しかも格安200F。夕飯後にみんなで見に行ってしまった。
夕飯はモロッコ料理屋。雰囲気もよくて、うまい安い、、なんだけど、遅い。忘れた頃に出てくる。
村落隊員Y君(Bass)、臨床検査技師S君(Guitar)と僕(Vocal)でブルーハーツのコピーバンドを結成したので、深夜選曲会議をした。2月にセネガル全土(?)ツアーを予定。
2003/12/26
仕事中、文化放送(ラジオ局)の放送作家の方から電話があり、30日の出演に関する打ち合わせをした。
仕事後に StLouis (Dakar北300km)に旅行した。後輩の臨床検査技師隊員S宅で明け方まで飲んだ。
2003/12/25
クリスマスの休日だった。のんびり過ごした。
文化放送からラジオの出演依頼がありおもしろそうなのでやってみることにした。年末30日に生放送予定。
参照→
日本のラジオでセネガル紹介
2003/12/24
クリスマスであった。仏語で言うとノエル。
残業だったので結構遅くに帰ってきたところ、大使館のK領事から飲み会に誘っていただいた。彼はカクテルを作るのがうまく、自宅のホームバーでいろいろ作ってくれた。帰り際、深夜のカテドラル(大聖堂)に寄った。セネガルで2度目のクリスマス。年末だなあとしみじみ思った。
2003/12/23
今年最後の仏語クラスだった。しかも、とても親切だった先生は来週フランスに帰国してしまう。彼女と飲みに行った。フランス人の女性と2人きりでBarで飲んだのは初めてかも。。いつかパリで会おうと約束をした。
その後、いつもの立ち飲み屋で酔っ払ったセネガル人のおっちゃんたちとたわいもない会話で盛り上がり、、、はあ、結局こうなってしまう。
2003/12/22
CrossRoadというJICAの機関紙に載せる記事を書いた。このホームページのように、思ったことをだらだら書くのではなく、きちんと(真面目に)書かなきゃいけなかったので、思うようにペンが進まなかった。まあ、無事に締め切りに間に合ったのでめでたしめでたし。
2003/12/21
のんびりとした日曜を過ごした。夕方、映画「カリブの海賊」を見に行った。ディズニーランドで僕が一番好きな「カリブの海賊」の場面が再現されていて面白かった。客は子供たちばかりだったけど。。
帰りにいつもの店で焼き魚定食とビール。夜はPC相手にネットワークの勉強をした。はあ、海賊はいいなあ。
2003/12/20
ソフトボール対韓国戦。シーソーゲームだったがサヨナラ負けを喫してしまった。その後、両チームの奥さん方がいろいろと料理を持ち寄ってくれて昼食会をした。
みんな結構飲むので大変な騒ぎ。おじさん達は韓国も日本も同じだなあ。。って僕も既にその一人か!?
2003/12/19
「セネガルがいど」を通じて始まった兵庫県のある小学校との交流が進んでいる。今日は1枚の写真が届いた。もうずいぶん雪が積もっているらしい。
僕も地方の小学校で「パソコンって何!?」という授業を予定しているので、日本とセネガルの小学生の交流のきっかけになれたらいいなあ。
「たびっき」→
セネガル-日本 学校交流
参照
2003/12/18
韓国協力隊の誕生日会に呼ばれた。みんなで飯を作ってビールを飲んで大騒ぎだった。しかも夜中にディスコに繰り出そうということになり、朝4時まで踊ってしまった。
2003/12/17
何日も奮闘していたノートPCの不具合が解決した。ようやく快適に動作するようになった。原因はBIOS電源管理のバグだった。帰国の際にPCを譲ってくれたO先輩、どうもありがとう。直りました。それにしても、ウエブサイト上の情報には何度助けられたことか。
夕飯はアフリカで開発した野菜魚スープのスパゲティとモロッコワイン。うまくできた。
2003/12/16
新隊員の語学訓練が始まった。クロスカルチャー(異文化理解)授業の手伝いとして、Thiesを訪れた。通訳みたいなことをするのだが、うむむ。やはり難しい。単語力不足。。
夜はThiesで活動している韓国協力隊員とビールを飲んだ。彼は水道局勤務の電気技術者。PCの修理とかもしているので、話題も興味深い。どこも似たような問題を抱えてるなあと思った。
2003/12/15
仕事の合間に後輩隊員のPCの具合をみた。落雷によってモデムが破損、PCカードモデムで代替できた。モデムだけの破損ですんでラッキーだと思う。あと、CD書き込みエラー。この問題はけっこう頻繁に耳にする。CD-Rメーカのせいか、いやハードウエアメーカのせいだと思う。そういう製品を出荷しないでほしい。
2003/12/14
静かな日曜を過ごした。JICAの機関紙に載せる原稿を書かなきゃいけないのだけれど、ぜんぜん何を書いてよいやら。言葉遣いもどうしよう。かたっくるしく書きたくないし。。締め切りに迫られる作家の気持ちが少し分かる気がする。
2003/12/13
アフリカ最西端の灯台まで散歩して海を眺めた。風が心地よかった。その後、韓国協力隊の家でみんなで夕飯を食べた。やっぱりレストランじゃなくて、家庭料理がいいね。韓国料理はうまい。
夜中に踊りに行こうということになり、メキシカンレストランで踊った。色んな人種が入り乱れて輪になったり列になったり、たまにはこういう夜もいい。
2003/12/12
帰国した先輩隊員から譲ってもらった「動かない」ノートPCを復活させるべく、ここのところ奮闘しているがなかなか手ごわい。メーカーホームページによると、バッテリーが過放電になるとOSの動作が極端に遅くなるバグがあるらしい。どういう仕組みなんだろう?BIOSアップデートで解決できるらしいけど、今度はBIOSとHDに書き込み障害が発生。設定の変更ができない!?
仕事帰りに市場に寄って、今日の自炊はサラダと炊き込み御飯。と、モロッコワイン。いやー、金曜のワインもいいね。
2003/12/11
仏語試験DELFの合格発表。驚いたことに合格していた!ランクA1〜A4までの初級レベルだけど、けっこう難しかったので、素直に嬉しい。クラスの無い曜日や日曜まで練習問題に付き合ってくれた先生のおかげだと思う。
中級、上級を目指して地道にやろうと思う。
2003/12/10
仏語クラスの先生を僕の家に呼んでカレーを作った。けっこううまくできた。タイ米の焚き加減もばっちり。天ぷらとか寿司とかより、ずっと日本の家庭的料理といえると思う。
深夜、韓国の協力隊連中と合流して明け方近くまで飲んでしまった。。
2003/12/09
新隊員15年度3次隊+短期隊員がセネガルに到着し、セネガルビール「FLAG」で乾杯した。新隊員を受け入れるのもこれが最後かも。
そういえば、僕がセネガルに到着したときはビールとか用意されていなかったので、飛行機でもらった小さなワインだけで同期で乾杯したなあ。
2003/12/08
日が暮れそうなほど動作の遅いノートPCの復活作業。うまくいかない。再インストールはすんなり行くのに、OS(各種)が立ち上がった直後に金縛り状態になる。なぜ?メモリは充分、HDもOK。OS起動前は普通に動作するのでCPUやマザーボードは正常?グラフィックチップのストライキか?あー、機械に操られてる。。
2003/12/07
友人と仏語のヒット曲のCDを聴きながら歌詞を読んだ。こんなことが初めてであることに気付いた。うむむ、勉強じゃなく、楽しみながら仏語に触れられるんだと、今更気付かされた。
2003/12/06
砂風のせいか、少し曇りの休日。ダカールを散歩した。ダカール美術館の中庭でサンドイッチを食べ、岬の灯台に行き、海を眺めた。
ぼんやりと過ごした。
2003/12/05
国際ボランティアデー2日目。JICAの展示ブースに立っていると、MOMOTARO!とかKAWASAKI!とか、声を掛けてくる人が多い。
無事に日程を終え、数人でビールを飲みに行った。このところあんまり寝てなかったけど「仕事の後はビールだな」て、うまかった。
2003/12/04
国際ボランティアデー当日。セネガル、アメリカ、フランス、韓国などの協力団体が集まっていた。
僕のスピーチ内容は、職場での活動と今後の展望を簡単に説明し、その後、物語「桃太郎」を紙芝居風に提示、子供たちにコンピュータに触れる機会を持たせることが重要だ、という流れで行った。
楽しんでもらえたようだし、いくつかの協力団体から「桃太郎」について、質問や資料の配布依頼を頂いたので、それなりに効果があったのだと思う。ギャグもうけてたし、めでたしめでたし。
「たびっき」→
国際ボランティアデー
参照
2003/12/03
夕方JICA事務所にてセネガル人スタッフや掃除婦さんにもスピーチの練習に付き合ってもらった。タダでさえ苦手なのに、仏語だから云々とは、もう明日なので言ってられない。盛り込んだギャグが当日うけるかどうか。。
2003/12/02
朝が結構冷える。昼間はじりじりと暑いけれど。昼休みに床屋に行った。最近忙しかったので久しぶりの床屋だ。いつもの屋台500F。さっぱりした。その後、スピーチの打合せのためJICA事務所に行きセネガル人職員に原稿をチェックしてもらった。
その後フランス語教室。夜先生からメールがあり「今日は元気なかったねえ」と。多少疲れているのかなあ。
2003/12/01
月曜になった。と同時にもう12月だ。昨夜は久しぶりにゆっくり眠れた。職場はいつもどおりだ。ネットワークカードが突如機能しなくなった。同型機で前例があったので、PCIスロットの差し替えであっさり解決できたが、なぜ突然?と、解決後も疑問が残る。
今週末に国際ボランティアデーというイベントがあり「セネガルに対する情報処理ボランティア活動」について発表するのでまた今週も忙しそうな気がする。。
2003/11/30
Thies(Dakar東70km)へ向かい、語学訓練時代にホームステイをした家庭を訪れた。
代々隊員が(なぜか男ばかり)お世話になっている家庭で、その5人で訪れた。おかあちゃんは相変わらず迫力があり「なんで飯食ってかないの!」と、僕ら5人は怒られてしまった。来週帰国する先輩も最後にここに来れてよかったと思う。
2003/11/29
来週帰国する先輩隊員の送別会を開催した。同期がまとまりそれぞれ作業をしているのは感慨深かった。食事もうまかったし、イベントもどうやらうまくいった。先輩隊員らも感動してくれていたようだし。数日前からほとんど寝てないけど、達成感のある1日だった。
2003/11/28
仏語試験最終日、口頭試験の日だった。読み書きよりも会話のほうが楽だな、と思っていたが(僕にとっては)難解な文章を読んで、それについて会話しなくてはならず、きちんと読み取れないと話にならない。いやはや。
試験後、明日の送別会準備のため、アルマジ岬(アフリカ最西端)に牡蠣を買出しに行った。同期みんなで夜遅くまで準備をした。
2003/11/27
コリテ明けの出勤。みんな挨拶しまくり。「バルマーッ(1年の罪を御免なさい)」「バルマーラ(こちらも御免なさい)」。
午後はJICA事務所で国際ボランティアデーの打ち合わせ。
2003/11/26
DELF試験2日目。難しかったが、時間いっぱい一生懸命やったからよしとしよう。
金曜日に口頭試験が残っているが、筆記よりかは少し気楽。道端のヒツジ肉炭火焼きで夕飯。
帰宅後、翌週の国際ボランティアデーの準備で夜中3時くらいまでかかった。
2003/11/25
仏語の試験(DELF)を受験した。思っていたよりも難しかった。久しぶりに数時間問題用紙と格闘したので、目が疲れた。
KOICA(韓国協力隊)の人も受験していたので、試験終了後「お茶」をした。(翌日も引き続き試験なのでビールは我慢!)仏語での会話なので多少勉強にもなる!?結構長時間話し込んだ。紅茶で。。
2003/11/24
翌日がコリテの祭り(ラマダン明け)ということもあって、局内もなんだかうきうきしている。
局長からは「コリテ準備のため女性は帰ってよし」とのお達しが出た。。
2003/11/23
仏語の先生とゴレ島で待ち合わせをした。来週の仏語試験の練習問題の答え合わせをしてくれた。彼女はほかの友達と一緒だったが、2時間くらい割いてくれた。親切な先生だ。
試験をがんばらねば。
2003/11/22
ソフトボール対アメリカ援助団体チーム。1-13敗北。僕は1打数無安打。。
午後は職場に行き、後輩隊員のハードディスクバックアップ作業。ノート用2.5" だけど、変換アダプタを持っているので無事に作業終了。秋葉原パーツ街で300Yだった。セネガルでとても活躍している。
2003/11/21
同僚AMのPCが電源が入らない!って呼ばれて、すぐに原因はわかったが、110/250Vの電圧変換スイッチが「110V」になっていた。たいてい電源内部のヒューズ交換で直るが、本人はその切り替えスイッチには触っていないという。もし本当なら、これは大問題。誰かがいたずらか何かで切り替えたことになり、同僚同士の信頼関係にも問題が出てくる。以前も、彼のデータがごっぞり消えていたことがあり、ミスで自分で消したのか?だったが、なんとなく、重大な問題が隠れている気がする。
2003/11/20
職場では最近インターネット関連、特に添付ファイルメールやメッセンジャーの使い方に関する問い合わせが多い。「この人知らないんだけど、返事書いたほうがいいの?」なんて質問は日本語だってどう答える?
12月初旬にセネガル政府主催、世界ボランティアデーというイベントで何か話すことになった。どんな題材がいいのかな?
2003/11/19
夕方サンダガ市場に買い物に行った。キャベツとピーマンと鰯の缶詰と米を買った。この時期は野菜が高い。
野菜炒め丼を作ってベランダで食べた。だいぶ風が涼しくなってきた。
見慣れた夜景を眺めながら考えるでもない考え事をしていた。
2003/11/18
昨日に引き続いて聾学校出張。全ての作業を無事に終えた。ただ、この学校にはPCに詳しい先生が誰も居ないので、トラブルが起きたときはもちろん、普段の操作自体もうまく使いこなせるかどうか。。僕は時々様子を見に来るくらいしかできないし。
ただ、子供たちは興味津々。手伝ってくれた生徒には先生の目を盗んでお絵かきソフトを使わせてみた。きっと初めてだっただろうけど、マウスもけっこううまく操作していた。
パソコンは便利である以前にもっと簡単でなきゃいけないと思う。
2003/11/17
ダカール市内の聾学校に出張に行った。新型PCが10台導入されたので、設置&設定&操作説明だ。荷物を運んだり机を動かしたりから始めなくてはならないので、1人でやるのは大変だなあ。と思っていたら、数人の生徒が作業を手伝ってくれた。小学生なので、机を運ぶのもやっとなんだけど一生懸命働いてくれた。彼らは耳が聞こえなく、そして言葉がしゃべれない。でも、驚いたことに、なんの支障も無く指示に沿って働いてくれたし、重いね、とか疲れたねとか、そういう気持ちも十分伝わっている気がした。
普段言葉の問題が云々と言っている僕だが、彼らに何かを教えてもらった気がした。
2003/11/16
ずっと家で仏語の勉強を、する予定だったのだが、ごちゃごちゃほかの事をしてしまい、なかなかはかどらなかった。
昼飯のご飯がとてもうまく炊けた。鍋で1食分炊くのも随分慣れたのかも。
最近隊員間でウイルス(スワン他)が流行っている。対策しなきゃなあ。
2003/11/15
ソフトボール対アメリカンスクール生徒チーム勝利!僕は1打数1安打。先週に続き日本チーム2連勝。午後はほんの少しだけ仏語を勉強した。きちんとまとまった時間やろうと思っていたのに、ほんの少ししかやらなかった。
駒ヶ根訓練時代の同期Sさんがいろいろあって赤ちゃんと共にセネガルに来た。夕飯を一緒に食べた。親子とも元気そうだった。
2003/11/14
朝、今シーズン初めて「肌寒い」と感じた。すぐに容赦なく暑くなったけど。
同僚のおばちゃんの娘が職場に遊びに来ていて、なぜか僕が話し相手をさせられていた。そういうことがたまにあるが、以前より会話がまともに出来ている気がする。どっちにしても、レベル的にはまだ「子供だまし」といったところか。。
2003/11/13
突然モンシロチョウが大発生していた。空を暗くするほど、ではないが、すごくたくさん舞っている。これだけ毛虫がどこに居たのかと思ほど。
昨日認識しなくなったサウンドカードが今日になったら自動的に復活した。なぜ?
職場のネットワークは頻繁にダウンするし今日は半日停電していた。
2003/11/12
韓国の協力隊KOICA(Korea International Cooperation Agency)のメンバーと韓国レストランで夕飯を共にした。本場の食べ方(?)とかを習えてよい。
約1年前彼らが赴任した頃は英語で会話していたが、いまでは仏語とウォルフ語を混ぜて会話している。セネガル人が見たらおかしく見えるかも。
カラオケもした。歌詞はお互いにさっぱり分からないけど、夜中まで盛り上がった。
2003/11/11
仕事後に空手練習、今日は組手が無かったので青あざは増えなかった。その後フランス語教室、今日も難しかった。その後、アメリカの世界銀行から出張でDakarに来ているという方と食事をした。セネガルに来るにあたって「セネガルがいど」も参考にしてくれたらしい。少しでも役に立っているのかと思うと、ほっとする。
帰りにBarでビールを1杯飲んで帰宅。途中、道端で貨物船の模型を修理している人が居た。ボール紙で作ったというその模型はとてもよく出来ていた。
2003/11/10
全マシンの設置作業がほぼ終了したので、先週までの忙しさは一段落した。あとはちょっとした設定やら、ネットワークの確認&うまくみんなが使えているかの確認作業。
フランス語教室は何やら文法の説明に入り、さっぱり興味が湧かない。まんべんなく勉強するのも大切だと思うが。。
帰りに最近よく立ち寄る食堂で焼き魚定食&ビール。僕の特徴として1回気にいるとずっとそればかり食べてしまう。そういえば最近下町に繰り出してないなあ。
2003/11/09
7時練習開始。まずはジョギング。そして海岸で組手。また蹴りをブロックされてすねに青あざが。よく見ると腕にもたくさん。。朝食はオムレツとクレープを焼いてくれるサービス付でとても満足。その後、海岸で型の練習。これは予習復習をしないとかなりつらい。先輩の足を引っ張ってしまう。
昼飯はFimelaの看護士Y隊員を訪ね、昼飯をご馳走になってしまった。満腹になったところで無事に合宿日程も終わり、帰路についた。だたっ広い中をひたすら走る景色は、アフリカらしくてとても気持ちがいい。
2003/11/08
ソフトボール対アメリカ大使館戦。結果はなんと14-7勝利!僕は2打数2安打。日本チーム今シーズン初勝利!いやー、強豪相手だったし、かなり嬉しかった。
ソフトの試合後、空手のS師匠とN先輩と一路Fimela(フィムラ)へ。Dakarから約170km南東の静かなリゾート地で1泊2日の空手合宿が始まった。初日の練習はひたすら移動稽古。いつ終わるとも知れず、ひたすら突き続ける。練習後、穏やかな内海を眺めながらプールで泳ぎ、魚メインの夕食。ラマダン中の練習は腹が減る。いやー、うまかった。食後僕の部屋で軽くビールを飲み、ぐっすり寝てしまった。明朝は7時開始。。
2003/11/07
金曜日。お祈りの日だ。仕事もようやく一段落したので、同僚のお祈りについて行った。モスケ(寺院)に行って祈るのだが、あまりにも人が多いので、あふれた大部分の人は道路でお祈りをする。周辺の道を全部埋め尽くした人々が一斉に地面にひれ伏す様子は何度見ても圧巻だ。
ラマダン+金曜日なので、省内は夕方にはほとんど誰も居ない。軽く残業して、どこに飲みに行こうかな。
2003/11/06
サウンドカードのドライバを探し当てた!なんてちっぽけな喜びなんだろう。でも、いろんなサイトを探し回って、英語や仏語でよくわからんけどこれかな?って奴をインストールして音が鳴ったときはやっぱり嬉しい。目の色変えて早くしろと要求してたおばちゃんもにっこり。
仏語クラスの後、先生と映画を見に行った。「ALI」ボクサーの話。どんな話かは、よくわからなかった。。ただ、カメルーンの町や人の様子がセネガルのとも似ていてなんだかほっとした。
2003/11/05
新マシン導入によって特殊な忙しさが続いているが、それも来週になれば一段落つくかな。
ああだこうだ、あれが欲しいこれが足りないこっちを先にやれetc..と要求してくるが、それに対して言い返したり言いなだめたり、時には喧嘩口調になったりして、とにかく彼らは強く要求することが習慣なのだと思った。みんな目の色変えて要求してくる。確かに「日本だと言わない事が美徳、外国に行ったらそれでは伝わらない」と言うけれど、ほんとにそうだ。でも、僕はやはり前者のほうが性に合ってるなあ。
2003/11/04
フランス語教室後、先生と夕飯を食べた。先生はセネガルで働いているフランス人。労働時間の話題になって、やっぱり日本はずいぶん労働時間が長いんだなあと思った。1日の労働時間もそうだし、フランスはバカンスが長い。1ヶ月〜2ヶ月ドーンと休めるらしい。ドーンと!
まあ、夕飯の時にこんな話題になるのも日本人なのかなあ。。
2003/11/03
月曜になってしまった。休み無く働く。という表現は日本だったらまあ当たり前なんだけど、セネガルにいると、ふと周りを見るとなんだかばかばかしくさえ思えるときがある。でも、休み休み(休み過ぎ!)やるのはあまり感心しない。まあ、文化が違うのだからそれでもいいけど。 とにかく、しっかり働いた後の夕飯はうまい。ラマダン期間なので、朝昼食べてないせいもあり、焼き魚定食とビールをもりもり食べた。
2003/11/02
クールモの夜が明けた。野菜隊員Sさんと明け方近くまで彼の庭で飲んでいた。さばきたての羊肉の炭火焼をほうばったり、枯草を集めて焚き火をしたりして、楽しい夜であった。
朝、昨日市場だったところを散歩した。誰もいなく、ごみが散らかっているばかりの静かな町に戻ったようだ。野良ヤギが悠々と昼寝している。何で昨日は人があんなに来たのかな?とヤギも思っているかもしれない。
日暮れ頃、セットプラスでダカールに無事に到着した。行って飲んで帰ってくるだけだけど、週末のこの過ごし方がとても気に入っている。
2003/11/01
クールモマルサールに旅行した。ダカールから約250km北東にある小さな町だ。
中継都市Lougaから乗合タクシーで一路クールモへ。ほんとにまっすぐ。うとうとして目が覚めても、景色は一向に変わらない。
草原の広がる土地に木がポツリポツリと生えているセネガルの一般的な風景の中、道はまっすぐ伸びている。今は雨季が終わり乾季に変わりはじめた季節。草は枯れて黄金色の大地だ。しばらくたつと、草は全く無くなり、荒野に変わる。
クールモに近づくにつれ、人を満載にした荷馬車や乗合自動車とすれ違う。笑えるくらいテンコ盛に人が乗っているので、何かと思ったけど、クールモに到着して判明した。週に一度の市が開かれていて、周辺の村から人が集まってきていたらしい。いつもは静かな小さな町が毎週土曜日だけ活気付くそうだ。
2003/10/31
金曜日、週末なので気合を入れて働いてみた。新マシンのインストールやデータコピーLANの設定、サーバ管理者とポート増設の折衝。日没を過ぎてから局長と局内プリンタ利用方法の確認。まあ、それだけなら普通の業務といえるが、冒険心を出して僕に与えられた新しいマシンのブートファイルを弄くったら起動しなくなって、やばい〜と、冷や汗出そうになりながら復旧作業を、月曜日もやらなきゃ・・。
とにかく無事に今週も終えたので帰りにビールを飲みに行った。
2003/10/30
国土省地図作成局の局長を訪ねに行った。パワーポイントの資料がうまく動作するかや、プロジェクタで投影するマシンの確認をした。
帰りにカールを乗り継いで教育省まで戻っているとき、赴任したての頃、行き先も不安なまま乗ってたカールを普通に乗りこなしているなあと思った。
2003/10/29
省内私立教育局からネットワークの設定をしろと呼ばれた。共有フォルダの作成と使用方法、注意事項などを説明した。他部署からも呼んで貰えるのはやりがいも有ってよい。
昨日は空手練習のあと、遅刻になりながらも仏語教室に行った。本当は、空手の日は仏語教室は行かないつもりだったのだが、フランス人の先生は遅れてもいいから来いと助言してくれた。授業後、先生と雑談しながら帰った。やっぱり来てよかったと思った。とても大切なことを教えてもらった気がした。
2003/10/28
「boot.ini」ファイルを編集してデュアルブート(マルチブート)の設定を変更したり、手動で片方のOSを削除できることを知った。現在僕の使っているマシンは、パーティションを区切ってWin2000の仏語&日本語のデュアルブートであるが、新しく入ったマシンはパーティションが切ってなく、既にいろいろソフトが入っているので、このまま使いたい。ただ、同一パーティションの中にWindowsの同じバージョンの仏語と日本語を入れたらどうなるんだろう。削除するのがとても厄介な気がする。HDを追加して、そこに日本語を入れたほうが良さそうかな?と、仕事中にいろいろと考えていて楽しい。
その後大使館で空手練習。思いっきり蹴ったキックがブロックされて弁慶の泣き所にもろにダメージを受けた。(相手も痛い筈だけど)
2003/10/27
ラマダン(断食月間)が始まった。夜明けから日没まで食べ物はおろか、水も口にしてはならない。去年僕も試してみたが、そんなに苦しいものではなかった。(内勤ということもあるが)今年もやってみようと思う。というか、いつもの屋台のおばちゃんが居ないので自動的に昼飯抜きになる。
「セネガルこぼれ話」→
ラマダンの話
参照。
2003/10/26
後輩隊員のPCの具合をみた。パワーポイントにCDの音を直接取り込めないのは不便だ。
深夜、隊員数人で協力隊員の活動のあり方などを話し合った。いろんな意見を交わすことは貴重だと思う。どれが正しいとかそういうことではないと思う。また明け方になってしまった。
2003/10/25
ソフトボール対アメリカンスクール教員チーム。結果は0-6、1打数無安打。今期はまだ1度も勝っていない。
同期隊員と夕食から明け方まで、先輩隊員のお別れ会の打合せをした。
2003/10/24
LANのことを調べるのに没頭していて昼飯を食べなかった。本が無くてもインターネットで詳しい最新の情報を得ることが出来るのでとても助かる。
夜インドネシア大使館のRZ氏と待ち合わせて飲みに出かけた。4時くらいまで飲んで帰宅。週末は夜が長い。
2003/10/23
日本の新聞記事を見ていたら、非接触型ICチップを携帯電話に内蔵し、読取機にかざすだけで本人確認と決済ができるシステムを実現化しようとしているらしい。以前から構想はあっただろうけど、これだけ携帯が普及していれば、もはや実現可能だと思う。いや、ひょっとして既に実現していて、スーパーのレジや駅の改札口に読取機が組み込まれていて、知らないうちに誰がどこへ行って何を買ったか等をリサーチされていたりして・・
2003/10/22
局長の従妹が亡くなったそうなので、仕事後に同僚と葬式に行った。式の一般的な流れとしては、人が亡くなると親戚や知人が集まり、男性達は近所のモスケ(寺院)で体を清め、墓地の近所のモスケに移動する。普段はモスケの内部で祈るが、葬式の時はモスケの外で祈る。墓地に移動し遺体を埋め、解散となる。なお、女性は葬式には参加できないらしいが、遺族を弔問に訪れる際は布で体全体を覆っている。
葬式は初めてだったが、異教徒である僕をそばに居させてくれた配慮のおかげでとても貴重な異文化に触れることができた。
「暮らしのがいど」→
冠婚葬祭がいど
参照。
2003/10/21
朝から新マシン導入に掛かりっきりだった。昼休みが無いどころか、昼飯を食べる暇さえなかった。でもWinXPのLAN設定など、あまり経験が無いのでいろいろと勉強になる。OSが仏語なので直感的にマウスが動かない。今日は4台のマシンのセットアップとネットワークプリンタ導入、2台の旧マシンの処置(データコピー、クリーニングなど)をした。今日の分はうまくいったから良しとしよう。。明日は残り3台をできるかな。
2003/10/20
海外からの資金援助で局に新しいマシンが7台導入された。画期的なことだ。これによって、各オフィスにマシンを配分できることになり、PC室はみんながPCを使いに来る場所ではなくて、講座を開いたり、マシンを修理したりといった使い方になる予定。
どう配分するか、設定やらデータコピーやらをいつ完了できるかなど、会議で尋ねられたがうまく答えられなかった。まあ、聞かれていることが分かるようになっただけでも、進歩かもしれない。明日からさらに忙しくなりそうだ。
2003/10/19
ベランダにゴザを敷いて寝転びながら本を読んだり考え事をしたりして過ごした。空が青く、風も爽やかな日だった。ダカールも少しずつ涼しくなっているように感じた。
せっかく爽やかな日だったのに、夜は結局下町に飲みに行ってしまった。これじゃいかん!?
2003/10/18
ソフトボールの試合があった。対アメリカ大使館チーム。結果は9-20。僕は3打数1安打。前半はシーソーゲームだったのだが、後半一気に流れを持っていかれた。なかなか勝てない。
夜はダカール隊員&調整員で夕食を食べた。みんなで1品ずつ持ち寄って、といっても僕は酒しか持ってかなかった。。うまかった。ごちそうさまでした。
2003/10/17
あるマシンがネットワークを参照できない問題を解決した。他からはアクセスできるのにおかしいなと思っていたら、ログイン時のちょっとした見落としだった。分かってしまえばあっけないことなのに、気付かないと時間ばかりかかってしまう。先入観をなるべく除いて対応しないといけないなあ。午後は金曜日(モスクでお祈りをする)のため、省内はがらんとしている。
残業帰りに立ち飲み屋に寄ったらインドネシア大使館の行政官と知り合いになった。お互いへんてこな英語でも盛り上がって何軒かはしごした。来週末も飲もうということになった。
2003/10/16
フランス語教室後に立飲み屋に寄ってビールを飲んだ。帰ろうと思っていたのだが、道端の屋台で炭で羊の肉を焼いていて、とても美味しそうなので串焼きサンドイッチにしてもらい、また立飲み屋に戻って、ビールと一緒にそれを食べた。カザマンス地方(セネガル南部)出身を名乗る陽気なおっちゃんと故郷の話しなどで盛り上がった。
2003/10/15
川端康成の「雪国」を読んだ。最近暑いのでベランダにゴザを敷いて寝るのだが、枕元の電灯で読んだせいか、情景がとてもよく浮かんできた。とくに、日没間際の山々の稜線の描写の部分はなぜか懐かしささえ感じた。
2003/10/14
インターネットを何気なく見ていたら、モノの使い易さを研究しているサイトがあった。ふだん何気なく見たり使ったりしているモノを、徹底的に観察&考察しコメント付きで○とか×とか判定をしているサイトだった。いやー、久し振りに目から鱗が落ちた。「便利なものは便利と気付かないうちに使っている」ってのは共感できるし、とにかくいろんな物を深く観察することの面白さを再発見させてくれた。
2003/10/13
フランス語のクラスが再開した。クラス分けがはっきりしてなかったり、配布された教材が間違ってたり、予想通りぐちゃぐちゃの初日だった。あーあ、前回とおんなじだね。と、シオラレオネ人のおじさんと仲良くなった。任期はあと半年、語学もしっかりやらねば。。
2003/10/12
JICA主催による隊員家族のセネガル旅行「視察の旅」で来られていた皆様と会食があった。食べものが口に合わなかったり、大変だった方も居たようだが、それなりにみな元気そうであった。
値段交渉や、乗合自動車の待ち時間など、皆さんびっくり体験をされたようだ。そういえば、最初はみんなびっくりしたものだ。いつの間にかそういうのに慣れちゃったなあと思った。初心を忘れずに。
2003/10/11
ソフトボールの試合があった。対セネガルチーム。結果は2打数無安打コールド負け。久しぶりに5kmのジョギングをした。
夜が蒸し暑い。最近ゴザを敷いてベランダで寝ている。風が通るので涼しく寝れる。
2003/10/10
レストランで結婚式披露宴があった。セネガル在住の日本人カップルがめでたく結婚したのだ。日本からこんなに遠い地で偶然出会い・・とにかくめでたい。で、空手仲間で出し物をした。結婚式に空手はどうなのかなとも思ったけど「声が小さい!罰として腕立て!」「押忍っ!」なんてとこがうけてたりしたので、まあ良かったかな。
2003/10/09
大使館主催の日本映画際に行って「ナビィの恋」を見た。2度目だけどやっぱり感動した。職場の仏人同僚ACも奥さんと一緒に来ていた。
ベランダに洗濯物を干そうとしたら鈴虫が鳴いていた。驚かして鳴き止んだらいけないとそうっと干した。僕にも少しは人間っぽさが残っているなあと思った。
2003/10/08
そんな筈は無いのにHDを認識しない。おかしいなーと、気持ちを入れ替えて再確認してみると、1番最初に試した位置のとき、ジャンパースイッチがきちんと差し込まれてなかったようだ。きちんと差してれば、すんなり行ったのに。30分以上無駄にした。作業はゆっくり正確に。。
来週から仏語クラスが再開するのでクラス分けテストを受けた。レベル2に上がることが出来た。めでたしめでたし。
2003/10/07
空手練習だった。今週末、結婚披露パーティで演舞をさせてもらうことになったので、型中心の練習だった。そうはいっても、あざは数ヶ所出来たけど。。
練習後にみんなでビールを飲みに行った。みんなそれぞれ負傷したとこがあって・・、まあビールがうまいからいいか。
2003/10/06
仕事後に映画「ターミネータ3」を見に行った。いやあ、相変わらずカーチェイスと爆破シーンの多い映画だなあと思った。5軸のオールテレンクレーンのチェイスシーンは興味深かった。カーブを切るときに3軸目が浮いて(サス圧縮により)いたり、ブームを横に向けて走行するときにアウトリガが張り出てたり、車両運転席にクレーン操作レバーがあったりetc..。無茶苦茶だけど、映画にばっちり登場しただけでも出世だよ、クレーン君(悪役だったけど)。仏語だったので、ラストがよく分からずうむむ。
2003/10/05
後輩隊員のPCが落雷によってモデムが壊れた。電話を掛けようとはしているが、発信音が聞き取れないらしい。ノートPCなので、外付けモデムの購入を勧めた。
セネガルはモデムの不具合例をよく耳にする。
2003/10/04
今日は土曜だが空手練習があった。型をもっときちんと覚えないといけない。
夕方、語学研修時代の僕のホームステイファミリの弟がふらっと遊びに来た。30分くらい僕の部屋で世間話をした。夏休み期間中だからDakarに遊びに来ていたらしい。家族のみんなも元気らしい。なんだかとても嬉しかった。
2003/10/03
僕を担当してくれているJICA調整員が局長との話し合いのため職場を訪れた。なんか中学生の時の「三者面談」みたい。
昼からトラブル続きで昼飯を食べる暇も無かった。理不尽な文句を言われることも多く、さっと言い返せない語学力が情けない。と思うなら勉強しろ。だな。
2003/10/02
インターネット利用によるせいか、マシンの不調が頻発。局内のメンテナンスだけでもかなり時間を食ってしまう。仕事に関係ないサイトを閲覧して・・いや、どんな職場でもあることだろうけど。
夜、帰国する先輩隊員の見送りのため空港へ。夜の飛行場の光は好きだけど、でもなんだか寂しい。
2003/10/01
教育省中庭でセレモニーがあった。日本政府からセネガル教育省宛て教材無償援助の受渡し式であった。金額にして2.6億円だそうだ。
小学生が「ありがとうー」と太鼓に合わせて歌を歌ってくれた。
協力隊もその一環であるが、ODAはいろいろな事をやっているんだなと思った。そんなこともあり今日も帰りは遅い。残業の日はビール。そうしよう。
2003/09/30
いやー、残業が慢性化してきたな。
午後は会議があって作業ができなかったので、定時間後にこつこつやっている。さて今日はビールでも飲みに行くかな。なんて考えながらなので、大井町のサラリーマンだった時みたいでサービス残業もなかなか楽しい。今ごろ同僚だったみんなも飲んでるかなあ。
2003/09/29
ハードディスクのデータ取出しはうまくいったが、そのディスクの再インストールがうまくいかない。やはり物理的に壊れてもう駄目なのかも。先にデータを取出しといてよかった。
遅く帰宅したので、夕飯の買物ができず「素スパゲティ」を作った。スパゲティをざるうどんのようにして食べる、簡単でなかなかいける便利なやつ・・。
2003/09/28
StLouisでの朝。というか、朝まで飲んでしまった。セネガルの場合、明け方5時にモスケ(イスラム寺院)からコーラン(経典)が大音量で流れてくるので、時間が把握しやすい。ああ、もう鳴ってる。なんて言いながら、雑魚寝した。
今は雨季なのでセネガル川の水位が上がり、陸地ぎりぎりだった。
2003/09/27
ソフトボールの試合だった。対アメリカンハイスクール。前半はみんな調子よく、勝っていたのだが、後半徐々に追い上げられ、サヨナラ負けを喫してしまった。
その後、セットプラス(7人乗りタクシー)を借りきり、先輩&後輩隊員とStLouisへ向かった。途中タイヤがバーストし、スペアも無いのでありゃりゃと思っていたら、通りすがりの車が貸してくれた。
2003/09/26
ハードディスクが故障した。外部に貸し出したマシンなので、輸送中に衝撃を受けたか!?とにかく、緊急に利用したいファイルがあるというので、残業してデータ取り出しに取り組んだ。
別のマシンに組み込んでセカンダリディスクとしては今のところ動作するので、必要なデータは無事に取り出せた。よかったー。(前回の大使館での件があるので、慎重に行った)
帰宅する時は、もちろん職場には誰も居ない。。
2003/09/25
別の局のPCに新聞作成用ソフトをインストールした。マシンはCOMPAQ-Deskpro(P3)。良いマシンだが、問題がある。フローッピー取り出し用ボタンが引っ込んだままになる。僕の局にある3台ともそうだし、このマシンもまた同様だった。ボタンは樹脂成形部品なので修理も難しい。対策としてはそれを外して、取り出すときはペンを突っ込んで奥の金属ボタンを押す。世界中(?)の同型機を使っている人達がみんなそうしていると思うと面白い。
2003/09/24
今日も残業だった。同僚の分担すべき領域をきちんと納得してもらえたので、まあよしとしよう。夕飯を作るのも面倒だったので、ダカール港あたりをぶらぶらしてビールを飲んだ。この界隈はマルシェ(市場)もあり、昼間は賑やかだが、夜はBarの看板がところどころ明るくなっているだけの、ちょっと怪しい雰囲気になる。
2003/09/23
床屋に行った。いつもの青空床屋(500F)。短く刈った後はすうすうして気持ちいい。
大発見があった。近所のレバノンファストフード屋の、、名前忘れた、ピザみたいなやつ。小麦粉を練った薄い生地にバジルやら数種類の香辛料のペースト状にしたやつを載せて、かまどで目の前で焼く。これはうまい。値段も600Fとお手ごろ。しかも、ムトン(羊)のソーセージや脳みそ、レバー、なにやら凄いものまで並んでいる。
レバノン人のおっちゃんは、たいていおっかない顔をしているので、なかなか近寄りがたい。不良っぽいやつらもたむろしてるし。でも、この店は気になる。いろいろ食べてみよう。
2003/09/22
残業だった。教育省HPの制作作業。僕の担当部分、資料のスキャン作業(紙を機械で読み込んで文字データとして出力する)と、文書の体裁を整えるところまで何とかした。稀にスキャナの誤字脱字があるので、そのチェックを同僚に頼んだら断られた。言い合いになったが、僕がやることになった。
誰も居なくなり、シーンと静まり返った職場での残業。まあ、気分が出ていいや。
下町にビールを飲みに行った。ほろ酔いでカールに乗って夜の街を疾走(帰宅)する。気持ちいいや。
2003/09/21
朝起きると、キャンプの管理人が居ない。朝飯の時間を過ぎていて、しかも帰りの船の時間も迫っている。どこ行っちゃったかなー。と、不安に思っていると、いきなり眠そうな顔をした彼が現れた。寝坊したらしい。朝食は食べずに、ボートで船着場に向かった。
無事に帰りのカール(乗合バス)に乗ることもでき、ひと安心。夕方Dakarに帰り着き、家の近所でビールを1杯飲んで帰った。充実した週末であった。
「旅するがいど」→
ニョジョール
参照。
2003/09/20
ニョジョールの畑や水田を見せてもらった。僕が普段事務所勤めという事もあって、土と水と現地の人と共に生活している果樹隊員FOさんの姿がとても逞しく思えた。
夕方海で泳いだ。入り組んだ内海という地形のせいか、波が無く穏かで温かい海だった。ボーっと泳ぐことが出来た。
夜、浜辺にランプを置いて、同期の村落隊員NYと夜遅くまで飲んだ。
2003/09/19
Niodior(ニョジョール、Dakarから南へ約200km)へ出掛けた。島であるので、船で渡らねばならず、その船は1日1往復しかないので、その船の時間に合わせて、朝6時半に家を出た。到着したのは午後3時過ぎだった。
夜は隣の無人島内にあるキャンプに泊まった。手漕ぎボートで満天の星空の中、マングローブに囲まれた無人島に向かって行くとき、とてもわくわくした。
2003/09/18
デジタルカメラの画像をPCに落とす(移動する)操作方法を同僚のAMに説明した。
普通であれば問題ないことなのだが、なぜかWindows2000では駄目で、Win98でもカメラを認識してくれないマシンがある。「なぜだ?」と言われても。。
そうそう、よく問題が起きると「なぜだ?」と聞いてくるけど、それが分かれば直せるというのに。直ってから尋ねて欲しい。。
2003/09/17
午前中いきなりネットワークカードが働かなくなった。WIN2000仏語版・日本語版のデュアルブートにしてあるマシンなので、両方のOSでドライバの再インストールなどを試してもラチがあかず。仕方がないのでPCIスロットを差し替えてみたらあっさり直った。。なぜ?
2003/09/16
大使公邸の夕食会に招かれた。新聞社の方や商社の方が同席されていた。話題もアフリカの文化や宗教についてが中心で、もっとこの国のことを知らなくてはいけないと感じた。
タイスープがとてもおいしかった。
2003/09/15
仕事中に阪神タイガース優勝を知った。いやあ、すごい。地元は盛り上がってるんだろうな。
ちなみにベイスターズは・・・また来年頑張れ!
2003/09/14
同期隊員OのノートPCを直した。まったくウンともスンともいわなかったのが、バックアップ電池を取り外したら解決した。電池内部でショートしているか、電源を管理している回路に問題があるのか?分解修理はなかなか楽しい。
夕方ソフトボールで韓国チームと紅白戦をした。太ももの「蹴られ痛」も治り、フル出場。守備ではエラーは無かったものの、4打数無安打。。勝ったことだし、まあいいか。。
2003/09/13
日本から仕事でDakarに来ているという方にお会いした。自分に無い経験をしている方とお話をするのは、とても刺激になる。
小説「2001年宇宙の旅」を読んだ。映画では意味不明の終わり方だった気がするけど、原作では場面展開も結末も把握しやすかった。やはり「HAL(人工知能)」の反乱場面はとてもドキドキした。
現在既に2003年。気軽に宇宙旅行に行ける時代はまだだけど、そういえば21世紀を迎えた瞬間「未来に来たんだ」と、やけに感動したことを思い出した。
2003/09/12
昼飯を職場のみんなと一緒に食べた。直径50cm位の大きなたらいにたっぷりのスープカンジャ(白いご飯にオクラと干魚のヤシ油どろどろソース)をみんなで囲んだ。やはりセネガル料理はこうしてみんなで囲んで食べるのがうまい。
今日は結構遅くまで残業した。気が付くと局内は僕だけになっていた。。よくあることだけど。
2003/09/11
後輩隊員のPCが調子が悪いそうなので、隊員連絡所に見に行った。
何かキーを触るとメールソフトが立ち上がってしまう。ただし稀に。機種依存のショートカットボタンを押したのと同じ現象になるので、そのボタンのソフト設定か、キーボードの故障or汚れ?かなと思うが、ウイルスを心配しているので、とりあえず最新版でウイルスチェックをした。
深夜の作業だったので、結果をまだ見ていない。
2003/09/10
昨日に引続き、大使館でハードディスク対策をした。昨日の作業でHDにアクセスすることが出来るようにしたのに、今日はディスク内を覗くこともできなくなって・・壊れかけが壊れてしまい、結局「もう駄目です」ってことに。。先にウイルスチェックをしてからデータコピーをすれば良いと思っていたが、1日でこんなに壊れが進行するなんて。。先にデータコピーしておくべきだった。
もっとプロ意識をもって作業に取り組まないといけない。
職場に戻り、守衛所のTVでサッカー「日本vsセネガル」を見た。試合終了後、守衛さんや野次馬(僕もその1人)たちと握手を交わし「また次の試合を待つよ」と言い合った。
日本チームも課題の残る試合だったと思う。でもまあ、反省から次のステップへ。。(言い訳!?)
2003/09/09
大使館に出向いた。あるPCが調子が悪いという。どうやらハードディスクが壊れかけているようだ。壊れかけなので、その原因究明&ウイルスチェックにすごい時間がかかってしまい、かつ下手にデータを消せないので、安全策を取りながらなので、昼休みになっても終わらず、大使公邸で2日続けてタイ料理をご馳走になり、午後になってもまだディスクはカリカリやってるので「明日また続きをやります」という中途半端な状態で教育省に戻った。
2003/09/08
日本大使と昼食をご一緒させていただいた。大使館のPCの調子が悪いそうで様子をうかがわせて頂くことに。できるだけ対応したいので、HPでウイルスについて調べたり、データバックアップの最善策を考えたりと、夜中までにわか勉強をしてしまった。久し振りの「一夜漬け」だ。
2003/09/07
全身が筋肉痛、いや打撲痛。。
JICA事務所で新規導入PCの設置&設定をした。MAC混在のネットワークのノウハウなど、学ばなければいけないことは多い。ネットワーク上に直接プリンタが出てこないのはなぜだ?(あるマシン経由だと表示される)
夕方ソフトボールの練習に参加した。といっても、蹴りを食らった太もも痛が治らず、球拾いをしてた。
夜、OBの先輩隊員Sさんが日本から旅行でやって来た。空港まで迎えに行き、家に泊まっていただいた。夜中までしょうもない話で盛り上がった。
2003/09/06
空手の遠征練習でKayar(Dakar東50Km)の道場へ行った。セネガル人の茶帯の青年と組手を経験できたし、型を披露し、うまくできなかった事など、充実した一日だった。ただし、両足の裏の皮は剥がれ、太ももに食らった蹴り、両腕の青あざ・・・まあ、空手をやってればこれは普通かな。
2003/09/05
昨日の夕飯の残り(たくさん作って朝まで残るようにした)の野菜スープで朝飯にした。珍しく魚(鰯の缶詰)を入れたせいか、とても充実した朝飯になった。
そういえば、フランスパンが細長いあの形なのは「ズボンの中に入れて持ち運びやすく」とナポレオンが考案したとか!?ホントかなあ。
2003/09/04
今日は職員が少ない。バカンス時期だからかな。
「星の王子様(サンテクジュペリ)」を最近読んだ。なんとなく"宮沢賢治"の世界に共通しているように感じて、とてもよかった。他を思いやる心が大切だと感じたけど、なかなか僕には身に付かない。
2003/09/03
朝起きると体中が痛い。昨日の空手の筋肉痛。いや、打撲痛。
太ももに強烈キックを食らい、歩くのがギクシャクしている。足の裏の皮もまた剥がれそうになっていて。。
学生時代やってたアメフトの時にも感じたけど、「体にいいのかなあ、このスポーツ。。」
2003/09/02
プリンタの不具合を解決した。
ネットワーク導入の大きな恩恵の1つが、プリンタの使い勝手が格段に良くなったことだ。その分需要も増え、メンテナンスもしっかりやらないと。
そして夕方は大使館で空手の昇給審査、無事に朱帯を頂くことができた。
下半身の安定など、今後の課題はたくさんあるけど。。徐々に鍛練を積んでいこう。
2003/09/01
昨日大量に作ったので、朝飯もカレーを食べることができた。
いつもサンドイッチなので、これはパワーが出る。午後の定例会議も、なんとなくいつもより聞き取れている気がした。
2003/08/31
サンダガ市場に買い物に行き、昼飯にタイカレーを作った。
野菜と香辛料をたっぷり入れて、タイ米もうまく炊けたし、辛かったけど、いやー、うまかった。ただ、作るのに2時間、食べるのに5分。これを何とかしたい。。(夕飯ももちろん残りのカレーだけど)
あ、日本の小学生は今日で夏休みも終わりだね。みんな、いっぱい遊んだかな!?
2003/08/30
日本語教師隊員Sの職場のPCがウイルスにやられたとのことで出向いた。
迷惑メールを勝手にじゃんじゃん送信してしまうらしい。アンチウイルスソフトで対策したが、再インストールの必要性がある気がする。
そういえば、ブラスタの作者が捕まったとか。この手のニュースでいつも思うのは「若いのに凄いなあ」。って不謹慎かな?
夕飯にCote d'Ivoire(象牙海岸)料理屋に行った。簡単に言うと「焼き魚定食」。イボワリアン(象牙海岸人)の店員は、食事をしている僕らのテーブルに一緒に座ってくる。こういう習慣なのかな?
2003/08/29
昼休み、いつもの屋台に腰掛けようとしたら台湾のS氏から電話で昼飯に誘われた。2時間ほど各国の建築についてとかを雑談した。彼は専門知識があるらしいし、僕は以前建設機械メーカで設計をしていたので広げて見せてくれた図面で話は盛り上がった。
夜は帰国するJICA医療調整員の見送りのため空港に行った。おかげさまで病気はしてません。お世話になりました。
2003/08/28
WindowsとIEのアップデートをした。ネットワークを利用するようになったので、この辺も注意しないといけないかな?ただ、教育省全体の指針というか、そういうのを全然示されないので、僕の局は僕が独断で管理するしかない。それでいいのかな?
データの保存も個々の端末利用のままだし、サーバーによる一元管理etc..まあいいや、徐々にやっていこう。
2003/08/27
あるマシンのネットワーク設定がうまくいかないと思っていたら、指定されたIPアドレスが間違っていた。何日も苦労したのにあっけない。。あとFTPソフトの認証が通らない。なぜだ?
仕事後は隊員連絡所でみんなでたこ焼き大会をした。自分で焼くのは初めてだったけど、結構うまくいった。大阪出身の隊員曰く、焼き過ぎないうちにくるっとひっくり返すのがポイントらしい。
2003/08/26
仕事中、秋田の新聞社の方が取材に訪れた。
インタビューや仕事風景を写真にぱちぱち撮られるのは初めてだったので、変な感じだった。秋田出身の隊員の取材のついでに寄ったそうで、僕が新聞に載ることはないだろうけど、よい経験だった。
2003/08/25
同期隊員Yと後輩の臨床検査技師Sが家に泊まりに来た。
夜半過ぎにディスコに飲みに行った。おもしろい夜であった。
2003/08/24
多少眠かったが、朝Kaolacを発ちDakarに戻った。
地方(内陸部)からDakarに戻って来る時にパッと視界に海が開ける瞬間がある。ここに来ると、地元に戻ってきたなあという実感が湧く。
2003/08/23
Kaolac(Dakar南東300Km)に出掛けた。Oシニア隊員の帰国送別会だ。
タップダンスや空手演舞、コラ(西アフリカ地方の弦楽器)弾語りなど、出し物も充実していて楽しかった。
夜は空手隊員M宅で朝5時過ぎまで飲んでいた。
2003/08/22
職場にネットワークが導入されてから、面倒なことが増えた。(それが僕の仕事ではあるが)
なにやら、ネット上のソフト(ソフトウエアや音楽ソース)に興味があるらしく、なんでもかんでもダウンロードしてしまう。データの保存場所や、ダウンロードのリスク等をまだ説明していないのだが、これこそ「新技術の波」か?
対応が追いつかない。徐々に説明するしかないが。
とは言っても、学生時代、僕ももちろん同様の事をして、何度も「またかよー」とPCを直してくれたE君。元気かなあ。
2003/08/21
以前知り合った台湾出身の方から電話で呼ばれ、昼飯を共にした。
彼は商社マンのようで、約2時間、彼の仕事のことや僕の活動のこと、世間話をした。
彼との共通語は英語。中華料理屋で台湾の人と日本人が英語で会話しているのを見ているセネガル人ウエイトレスはどんな気持ちだったかな?
2003/08/20
3週間振りに床屋に行った。いつもの道端の青空床屋。500F。赴任してからずっと同じ床屋で刈っているので、わざわざ説明をしなくても、世間話をしているだけでいつもの髪形になる。散髪の後はスースーして気持ちがいい。
2003/08/19
ネットワーク設定についてうまくいかないマシンが有る。なぜだ?他のマシンと同様に設定しているはずなのだが。。
仕事後に空手練習で日本大使館へ。組手で初めて上段回し蹴りを試した。よけられてしまった。相手の蹴りももちろん飛んで来る。空気が鼻をかすめた。Hitしたらかなり効くと思う。
次回練習日は朱帯昇級審査。
2003/08/18
職場での定例会議があった。
自分が発言できるようになるのは程遠いが、なんとなく言っている事がわかるようになってきた気がする。
2003/08/17
StLouisでは朝からビールを飲みつづけ、午後に7Place(セットプラス)でDakar帰ってきた。
みんなのおかげでよい週末であった。
2003/08/16
StLouisに泳ぎに出掛けた。夏の海はとても好きだ。
隊員数人と浜辺でスイカ割りをした。生まれて初めて「スイカを割った人」になれた。
夜は炭火で焼肉をした。
2003/08/15
キリスト教関連の祝日だ。日本では終戦記念日か。そういえば、日本は夏休み真っ盛りで、花火大会とかもあるんだろうな。
週末は海にでも行ってみよう。
2003/08/14
局内にLANが導入されたため、フロッピーディスクを使ってデータの移動をする必要はほとんど無いはずなのだが、共有フォルダを利用してPC間のデータ移動ができるということを、なかなか分ってもらえない。というか、技術的にできるということを分ってもらえても、実際は習慣からかFDを使おうとする職員が多い。まあ、ぼちぼち慣れていってもらうしかないかな。
2003/08/13
昨夜は空手隊員が泊まっていたので、夜遅くまで飲んでいた。
朝はきちんと出勤したが、足の皮がむけたところが痛くてびっこ状態。。
2003/08/12
空手の練習日だった。同期村落隊員のYとブルキナファソの空手同期隊員Mも練習に来てくれた。練習の度に自分のスタミナ不足を感じる。練習後に足の裏の皮がべろっと剥げていることに気付いた。情けない。 家に帰ると、ドアの鍵が開かない。壊れたようだ。仕方ないので、ドアに体当たりして、鍵を壊して家に入ったら、もう一方の方の鍵が閉まっていただけだった。もちろんその鍵はポケットの中にちゃんと有り。。修行が足りない。。
2003/08/11
月曜の仕事だ。ずいぶん前から冷房が壊れていて修理に出してあるので、職場はとても蒸し暑い。そういえば、PCは室温何度までの想定の設計なんだろう。Dakarは25〜35度くらいだから問題ないだろうけど。
2003/08/09
BurkinaFasoから来ている空手隊員Mと数人でタイ料理を食べに行った。 トムヤムクンは、レモングラスが効いていてとてもうまい。今度自分で挑戦してみよう。
2003/08/08
同期隊員Yと下町地区Medinaに飲みにいった。
立飲みBar、セネガル風羊スパゲティの店、豚骨スープのうまい居酒屋。この豪華3件はしごコース。2200F。彼はとても気に入ってくれたらしく「いい隊員活動してるね」と。
2003/08/06
壊れていたマシンからLANカードを発掘してやや動くマシンに取り付け、ネットワーク設定をした。Windowsマシンだけの環境なので、難しくは無いのだろうけど、Win2000&98との混在時のノウハウなどをインターネットで調べた。いろいろ詳しく説明してくれている人がたくさん居て凄いなあと思う。大変助かります。
2003/08/05
壊れているらしいハードディスクを復活させようと試みたが、駄目だった。
スレーブドライブとして設置すると、ごく稀に読み取ることはできたが、マスターにしてWindowsをインストールすることは出来なかった。
2003/08/04
任国外旅行中に局内にLANが配備された。といっても、線が繋がっているというだけで、設定やLAN環境の使用方法(省内の決まり)などは、まだ説明されていないので、適当に設定して、局内でファイルやプリンタを共有できるようにした。大元のサーバーにはルータが設置されているので、外部からのセキュリティの問題はそこで解決してくれるはず(!?)。
2003/08/03
BurkinaFasoから任国外旅行で同期の空手隊員Mが到着した。
夜、帰国する先輩隊員を空港で見送った。
2003/08/02
昼飯はいつものように屋台でチュブジェンを食べた。
屋台のおばちゃんも、近所のおじさんも、道端の物売りの兄ちゃんも、「しばらく見なかったなー。どこ行ってたんだ?」と、声をかけてくれる。
これがセネガルの人々。
2003/08/01
休暇明けの仕事が始まった。
朝、職場に行くと、同僚達から拍手が起こった。昼飯は大皿を注文していてくれて、みんなで囲んで食べた。
いつの間にか、任期もあと8ヶ月。この同僚達となら、何とかやっていけそうだ。
2003/07/31
約6週間の長かった休暇が終わってしまう。。
野菜炒めを作り、ベランダで白ワインを飲みながらのんびり夕飯にした。
明日から働くか。。
2003/07/30
先輩隊員のFDドライブの調子が悪い。応急的に分解掃除したてみたが、良くならない。こちらでは、同様のトラブルが多いように感じる(僕の職場も自宅も)。ウイルスのせいか、砂埃のせいか。。
2003/07/29
いつもの青空床屋に行き、さっぱりした。
夕方、海辺を散歩した。魚市場の脇で、揚げたての魚をおばちゃんが炭火で焼いている。1尾食べてからMedina地区の居酒屋にビールを飲みに行った。
2003/07/28
外国人登録証を役所に取りに行ったのだが、受付時間を1時間くらい過ぎても、係の人が来ない。
別の係の人に文句を言うと、今朝は雨が降ったから時間に来れないんだ。と言う。待っている別の外国人らも「仕方ないなぁ、インシャラーだからなー」とため息。
道端の靴修理少年に頼んで靴の破れた部分を縫ってもらった。なかなかの出来栄え。
2003/07/27
映画を見に行ったりして、のんびりとした日曜日を過ごした。7月いっぱい休暇をもらっているので、毎日が休日なのだが、日曜日は辺りも静かだし、やっぱり休日という気がする。
2003/07/26
屋台のチュブジェンを食べ、ビールを飲みに行ったり、カールに乗ったり・・。
あっという間にセネガルでの生活ペースに戻ってしまった。
2003/07/25
セネガルは暑い。そして飯がうまい。
白いご飯に焼き魚、それに玉ねぎソースをぶっかけた奴で昼飯にした。
フランスやスペインの料理もうまかったけど、暑くて腹の減っている時は、やっぱり「丼」。
2003/07/04〜07/24
任国外旅行として、フランス&スペインを旅した。
学生時代に訪れたときとはまた違った、感動を得ることができた。
「たびっき」→
葡萄酒を求めて南欧の旅
参照。
2003/07/03
任国外旅行出発の日だ。昨夜はよく寝れなかったし、暗いうちに起きてしまった。
朝、海を見に行った。空は青く晴れていた。
2003/07/02
JICA事務所の次長と隊員数人で座談会をした。テーマは「JICAが協力隊員に求めるもの」。
硬いテーマだけど、たまにこういうことを議論するのもよいと思う。
以前から次長の考えを聞いてみたいと思っていたし、なかなかよい企画だった。
2003/07/01
Ngor島の崖の上から大西洋を眺めた。雨季のためか、雲と空気が独特の雰囲気だった。海も黒く力強く見えた。
潜って漁をしている漁師達がいた。
夜はまた下町でビールを飲んだが、今日のはなんだか苦かった。
2003/06/30
帰国する先輩隊員Kを空港まで見送ったあと、連絡所で飲んだ。
無線機の予備電源用のバッテリーが過充電の為か、ガスが発生してひどい異臭を発していた。とりあえず、夜は電源をはずす。という苦肉の策をとったが、どうしたら直せるのか。
2003/06/29
Rufisque郊外にある「亀公園」に行った。大小さまざまな亀がいた。
僕の実家でも亀を飼っているので、なんだか愛着がある。彼は僕が幼稚園の頃“平塚の七夕祭り”で買ってもらったやつだ。元気かなあ。
最初の雨の数日後に生まれる予定の卵もあって、生まれたてを見れなくて残念だった。
2003/06/28
雨が降った!今季初の雨だ。
ザッと降って、30分くらいで止んでしまったが、気持ちのよい雨だった。
夜、映画館にMatrix2を見に行った。なんかすごい。
ワイヤで人を吊って飛んでいるように見せてたのは、そんなに昔じゃないはずなのに。。見終わったあと、自分もぴょーんと飛べる気がした。
でも、サンダーバードのジェット噴射が花火のようなやつ。あれもなかなかよいと思う。
2003/06/27
日本語教師隊員Sの仕事場に出張。スピーカから音が出た。よかった・・
ドライバが運良くWin98CDに入っていたので、簡単に対処できた。
その後、隊員6人でセネガル食堂でチュー(シチューのようなもの)を食べた。
夜は隊員連絡所で夜中1時過ぎまで飲んで、カールで帰宅。
2003/06/26
下町のスパゲティ食堂と飲み屋に行った。
飲んだ後に夜の街を走り抜けるカールは気持ちいい。
こういう日は、得した気分になる。
2003/06/25
後輩隊員KのパソコンのWinXPを再インストールした。
夜は数人で韓国料理屋でカラオケをした。とても盛り上がった。
2003/06/24
セネガルの全隊員が集まる隊員会議が無事に終わった。
「日本人だけでも、ポイ捨てを止めようじゃないか」
個人の力ではどうしようもないこともあるかもしれないが、できることからやっていこうと思う。
2003/06/23
最近忙しかったせいもあり、1月ぶりに床屋に行った。500F。
今週は、健康診断等があるため、全隊員がDakarに集合することになっている。
7月は休暇をとって任国外旅行に出掛けるので、約6週間の長期休暇ということになる。とても雄大な気分。
夜は同期隊員と飲んだ。
2003/06/22
臨床検査技師H隊員と夜中まで語っていた。
彼は僕とずいぶん違う考えを持っているし、とても正直な男だ。戦争や宗教についての話もする。
彼と語り合う時間はとても貴重な気がする。
2003/06/21
同僚MMと、Rufisuqueに住む同僚KT宅に昼食をご馳走になりに行った。
ヤッサギナウ(白飯+玉葱ソース+鶏肉)だった。とても豪華で、ギナウヤッサだ!と、冗談が出るほど。
郊外からさらに外れた小さな村で、通勤に1時間半かかるそうだが、静かで鳥の鳴き声が聞こえ、住み心地はよさそうだった。
2003/06/20
マザーボードの電源が入らなかった問題を解決できた。(ジャンパースイッチの設定が間違っていた。)
基板上にあるジャンパスイッチの集合部分の説明を、同じメーカの類似ボートと同配列だと先入観を持ってやってしまったため、解決に時間が掛かってしまった。
きちんと表示するか、同配列にするか、何とかして欲しいが。
難儀したが、500MHzマシンが1台復活したのでよかった。
2003/06/19
仕事後に同僚AS宅にPC修理&夕飯に出掛けた。
動作しなかったスキャナは、ドライバ競合解除で解決した。サウンドボードの故障は直せなかった。
偶然近所に住むことになった新隊員Mも呼んで、みんなで夕食を食べた。
2003/06/18
太もも痛が残っていて、ギクシャクした歩き方だ。情けない・・
マザーボードが壊れる。なぜだ。同僚ACがどこからか見つけてきたPentII用のボードも電源が入らない。
2003/06/17
フロッピーディスク取出し用のボタンが壊れている。プラスチック部品のため、修理が難しい。ライターの火で直るかな?
空手練習中、太ももに力が入らなくなった。数時間後に判明したが、どうやら太ももをキックされたようだ。もっと鍛えないといけない。。
2003/06/16
語学訓練時代の先生宅を訪れるべく路線バスで向かったが、ひどい渋滞のあげくエンコ。断念して戻った。
ATシフトのバスであったが、走行中運転手は何度もギアを入れなおしていた。ミッションが故障したようだ。
2003/06/15
サンダガ市場で買い物をして、キーマカレーを作った。うまかった。
ビサップと呼ばれている植物(ハイビスカスのようなやつ)の花びらを急須に入れて、普通のお茶のようにして飲んだら、ほのかにすっぱくて、さっぱりしていてうまかった。
2003/06/14
Bandia動物園を訪れた。ゆっさゆっさと歩くキリンは何度見ても感動する。彼らは歩くとき、両右足を同時に出し、次に両左足を同時に出すという歩き方をするという新発見もあった。
前回は雨季の真っ最中だったので途中雨も降った。セネガルは日本に比べるとあまり季節感が無いともいえるが、やはり雨季と乾季では結構違う。
2003/06/13
仕事後にDakar近郊Thiaroyeまでカールで行き、帰りは通勤列車でDakar駅まで帰ってきた。通勤方向とは逆向きなので、車内はガラガラでのんびり景色を見れてよい。
2003/06/12
以前から惹かれていた木彫りの仮面を買ってしまった。なかなかよい。
魚市場でエビを買ってパエリヤを作った。
2003/06/11
昼に親子丼を作った。やはり、昼飯は丼がいい。
セネガル料理も丼に近いが、うーむ、親子丼はうまい。。
2003/06/10
Dakarの布屋街を歩いた。よく流通している品は、セネガル製よりも、モーリタニアやマリ、そして中国製品も多いようだ。
2003/06/09
灯台のある丘に登って、海を眺めた。ここは僕のお気に入りの場所だ。
スーパーでエスカルゴ(カタツムリ)の缶詰(2,400F)を発見。かなり迷ったけど買ってしまった。初めて食べた!おいしかったが、普通の貝のようだった。。
2003/06/08
StLouisからDakarに戻ってきた。
近所のスタジアムにルット(セネガル相撲)の試合を見に行った。結構迫力がある。
2003/06/07
朝Podorを出発しStLouisに向かった。途中、2月に亡くなった後輩隊員のいた町を通り過ぎたが、以前と変わらない風景であった。
StLouisでは、そこに住んでいる3人の隊員が夕食の用意をしてくれた。生きた伊勢海老を炭火で焼いて食べた。感動。みんなありがとう。
2003/06/06
Podorに向かうべく、Bakelで車を待ったが、ぜんぜん客が集まらず、4時間も待った。(定員に達しないと出発しない)
スペインとイタリア人のカップルと同乗した。今はフランス語で会話ができるので不思議に思う。
Podorの宿からは、セネガル川越しに、すぐ目の前に隣国MAURITANIAが見えた。
2003/06/05
寝台での目覚め。昨夜は楽しくてなかなか眠れなかった。食堂車でパンとコーヒーの朝食。
MALIとの国境の町Kidiraで下車し、乗合タクシーでBakelに到着。暑い。宿の部屋の中ですら、壁や家具が熱い。
2003/06/04
午前中仕事をして、午後はいよいよ列車旅行に出発。国際列車の旅は2度目だが、今度は寝台だ。ごろっと横になりながら外の景色が見える。夕食は食堂車でステーキ定食だった。この列車にはビールを積んでないらしい。
外は真っ暗で何も見えないが、乾いた大地をゴトゴトゆっくり走っているだけで楽しい。
2003/06/03
午後にふらっとゴレ島に行った。博物館や奴隷の館も興味深いが、のんびり散歩するだけでもよい。
2003/06/02
乗合自動車を乗り継ぎ、LacRose(桃色の湖)に行った。非常に濃い濃度の塩湖のため、泳いでいる観光客はきゃーきゃーはしゃぎながら不思議なくらいにぷかぷか浮いていた。
午後はきちんと職場に戻り、会議に出た。
2003/06/01
フランス文化会館でセネガルダンスを鑑賞した。きちんとした劇団のようなグループがいろいろな形で踊りを披露してくれた。
2003/05/31
染物の展示を見に行った。セネガルで活動しているアーティストの制作らしい。鮮やかな色使いのものが多かった。
午後は博物館でいろいろな民族衣装や仮面の展示を見た。すでにセネガルの各地方を旅行しているので、祭りの衣装なども実感とともに見ることができた。
2003/05/30
今朝の朝飯はサラダサンドイッチだ。パンにレタスとトマトとキュウリとピーマン。レモン汁とマスタードをかけてもらう。350Fは昼飯よりも高価だけど。
2003/05/29
キリスト昇天の休日だった。JICA専門家宅でADSLモデム(セネガル購入)のインストールを試みたが、うまくいかなかった。
WinMe日本語版とWin98仏語版が同一HD内にインストールしてあり、前者ではすんなり設定できたが、後者ではドライバが無い。日本語仏語の違いではなく、Meにたまたまドライバが入っていて、モデム付属のCDが間違っているようだ。
ところで、セネガルにもADSLサービスが本格的に始まった。料金的にも納得できるものだが、僕の残り任期を考えると、うーん、このままダイアルアップでいこう。。
2003/05/28
定時間後、同僚とインターネットスペースに行った。Hotmailのアドレス取得や、サイト閲覧方法の説明をしたりした。
プライベートなことだからと、職場でせずに自分で料金を支払って質問しようという姿勢に感心した。
2003/05/27
配属局内にようやくLANがやってきた。計画からはずいぶん遅れているが。現在は局長と秘書のPCのみであるが、順次局内に導入される予定。
Webサイトを表示したり、Hotmailのアドレスを取得したり、数人でいろいろいじくった。回線がとても遅く、あまり実用的とはいえないが、それでも有るのと無いのではずいぶん違うと思う。
2003/05/26
南太平洋の島国で活動していた同期の隊員が、重病にかかり、帰国して治療を受けるという連絡を受けた。とてもつらい知らせだった。
今の僕には、手紙を書くことと、彼の回復力を信じることしかできない。
2003/05/25
散歩の途中、教会から賛美歌が聞こえてきた。
浜辺で海を見た。
ふらっと出掛ける週末の散歩は気持ちがいい。
2003/05/24
ふらっと散歩に出掛けた。
インド映画を見て笑った。インド映画のあのテンポがとてもよい。夜中、消防署内のBarでビールを飲んだ。
2003/05/23
仕事後に新隊員数人と飲みに行った。いつも思っていることだが、協力隊員は様々な経験をしてきた人間ばかりなので、話も興味深い。
2003/05/22
音楽隊員Sの生徒のPCを直した。といっても、BIOSのハードディスクの認識設定を変更しただけ。でも、そのことを知らなければどうしようもないので、僕も少しは役に立っているような気がした。
とても古い(10年以上前のモデル)マシンだった。きっと大切に使っているのかな。
2003/05/21
セネガルに住んでいるレバノン人はとても多い。長年住み、店を経営している人が多いようだ。
アラビア語を話しているようだが、会話をする機会もあまりないので、職場の同僚B(アラビア語教員出身)に尋ねた。レバノンは過去にフランスの植民地でアラビア語とフランス語を話すそうだ。
2003/05/20
いくつかのキーが動作しないため、同僚Sのキーボード修理に取り掛かった。プリント配線の一部がカビか汚れ?で寸断されていることが原因だった。
配線を追っていく作業は目が疲れるが、おかげでキーボード配線の原理が理解できた。
夜は僕の家でダカール新隊員歓迎会をした。みんなで料理を持ち寄ってもらい楽しい会が出来た。
2003/05/19
多少眠いが月曜なので出勤する。今週は「基礎教育週間」なので、職員が出張で出払っている。
仕事後にフランス語教室に行き、その後JICA所長宅で夕飯をご馳走になった。
2003/05/18
象牙海岸振替の同期&NIGERから任国外旅行の同期で韓国料理を食べた。
2次会は僕の部屋で明け方4時過ぎまで続いた。男性のみの飲み会話は、えげつなくてとても楽しい。
2003/05/17
JICA事務所で先輩村落隊員SのPCの再インストール作業を行った。
NECのノートPCにCompaq用のWindowsXPを載せてみた。ドライバ関連も含め、かなりうまくいったので、驚いた。OfficeXPでは認証システムが強固になったのに、WinXPが甘いのはなぜだろう?
その先輩に夕飯をご馳走になってしまった。こういう休日の過ごし方も楽しい。
2003/05/16
出張に出ている者が多く、職場は静かであった。のんびりと自分の仕事ができる。
午後はJICA事務所で幹事会という係の仕事を済ませ、日本大使館からPC不具合のため呼ばれた。
ある特定のマシンのメールアカウントの設定内容がログインする度に書き換わってしまう。なぜだ?残念ながらウイルスチェックとメールソフトの再インストールくらいしか解決策を思いつかなかったので、保留ということになってしまった。
赴任して1年以上が経ち、ハードやソフト、そしてトラブルと解決策について、もっと積極的に情報を得なくてはならないと思うようになった。
2003/05/15
早朝、Tivaouaneを発つことにして、Dakar行きのバスに乗り込んだが、渋滞でいっこうに車が進まない。目の前には鉄道駅があり、発車前の列車が待機している。方針を変えて、列車で帰ることにした。年に1度、この日のためだけの路線だ。貴重である。発券にトラブルがあったらしく、切符を買うだけで1時間以上かかった。お祭りの日なので仕方ないと諦めているので、のんびり雑談しながら列に並んでいた。
乾季の列車の旅は砂埃がすごい。暑いのでデッキに出っ張りぎみに乗車していたが、顔を出していられないくらい、先頭の機関車が時折ものすごい砂埃をあげる。4時間後、Dakar駅に到着した時には体中砂まみれであった。
でも、列車の旅は楽しい。
2003/05/14
仕事後にTivaouane(Dakar北東150Km)に向かった。Gamouというイスラム一派のお祭りがあるためだ。
日本の初詣のようなもので、多くの人々がこの町に終結して、夜を徹して祈りつづける。
同僚LNの親戚宅に泊めさせてもらい、夜を過ごした。多くの親戚達が集まり、家に入りきれないので僕らは屋根の上で夜を明かした。
2003/05/13
「基本教育週間」の準備も今日まで。僕も作成を手伝ったポスターが教育省の廊下に張られてるのに気づいて、ちょっと満足。配布用資料もすべて揃え、明日から続々とKolda(Dakar南東670Km)に向けて同僚が出張に出掛ける。
僕も行きたかったが、カザマンス地方が内戦中のため、邦人は立入れないらしい。
2003/05/12
また仕事が始まってしまった。職場は相変わらず「基本教育週間」の準備で大忙しだ。
休暇を取る前にきちんと説明しておいたはずなのに、見付からないファイルがあったらしく、大急ぎで書類を完成させた。
久しぶりにフランス語教室に行った。ギニアビサオとシオラレオネ人の同級生がどこ行ってたんだと心配してくれた。
2003/05/11
1年間通った青空床屋のおっちゃんが居なくなってしまった。彼の出身のギニアに帰ってしまったらしい。とても残念だ。
Marche(市場)で買い物をして、カレーを作った。なかなかうまくいった。
のんびりとした日曜であった。
2003/05/10
無事に自宅に帰った。
今回の旅行は本当に盛りだくさんだった。1週間仕事を休んだのは初めてだったけど、休暇を取ってよかった。
中学時代の修学旅行のような、忘れられない旅ができた。
一緒に旅をしてくれたみんなに感謝。
2003/05/09
ガイドのNに別れを告げ、いよいよKedougouの町を出発だ。
Tambacoundaでチュブジェンを昼食にとり、Kaolakに向かった。途中の休憩で食べたビサップアイスがうまかった。
2003/05/08
滝を後にし、セネガル最大のBaobabを見るためIwol村に向かった。
きついと聞いていた村までの山登りも、昨日の滝の上までの登りに比べたら楽だった。
村では鼻に串を刺した人々が迎えてくれた。Baobabは思っていた程大きくはなかったが、子供達の真似をして木に登った。木の上でしばらく休憩した。心地よい休憩であった。
2003/05/07
有名な滝があるというDindefeloに向かった。キャンプで車を降り、徒歩で滝に向かう。
滝が目の前に現れた時は胸がすーっとした。80mあるという切り立った崖の上から水しぶきが輝きながら降ってくる。みんな裸になって滝壷で泳いだ。冷たい水が久しぶりだった。滝に打たれていると、自分の周りを虹が囲んだ。忘れられない感動だった。
2003/05/06
Etyolo村を訪れ、この地方独特のバサリ族の祭りなどについて説明してもらった。
村の小さな学校を訪問した。教育省で働いているということもあって、校長先生がいろいろと説明してくれた。紙や鉛筆は無く、生徒はみんな小さな黒板とチョークを使っていた。でも、みんなとても元気に発言していた。
夜、バサリ族の祭りを見に行った。見たことの無い民族衣装やマスクなど、興味深かったが、観光客として見ていると、なんとなく悪いことをしているような気がした。
帰り道、山が燃えているのを見た。山火事ではなく、農業のための野焼きだそうだ。
2003/05/05
朝NiokoloKobaを出発した。国立公園を出る直前。Kobaという大型のシカが見送ってくれた。彼に会えるのは運がよかったらしい。
Kedougou(Dakar東700Km)に到着。ここから先は普通の車じゃきつい。交渉の甲斐あって、楽しそうな4輪駆動車を安く借りれた。運転手のMもなかなかいい奴そうだ。
この日はSalemataに泊まった。
2003/05/04
朝、ボートに乗って川探検をした。カバやクロコダイルがたくさん居た。
夕方、ガイドを雇って公園内を歩いた。ライオンには出会えなかったが、楽しいサファリツアーだった。夜はとても暑く、なかなか寝付けなかった。しかも飲み水が不足して、みんなで我慢した。水のありがたさを改めて実感した。
2003/05/03
1週間の休暇をもらった。Kedougou地方を旅行するためだ。
Kaolakで7Place(7人乗りの車)を借りて一路NiokoloKoba(Dakar東方600Km)国立公園へ。水場に集まる野生のシカやイノシシや鳥たちを見れた。
2003/05/02
NIGERのHとNが帰っていった。駒ヶ根の語学訓練で同じクラスだった奴らは、1年振りという気がぜんぜんしなかった。毎日ドタバタだったが、楽しかった。
次に会うのは1年後。僕はセネガルからの帰りにNIGERに寄ろうと思う。
2003/05/01
メーデーのため休日。
同期隊員とGoree島へ。写真好きのHが「奴隷の館」では撮影できないと言った。彼なりに感じるところがあったのだと思う。来てよかった。
2003/04/30
同僚LNと教育省に戻って「基本教育週間」の準備を進める。2人とも眠いはずなのに。彼はとても評価できる。
仕事後にNIGERの同期と下町のBarへ。男3人なので、気楽に飲める。
2003/04/29
教育省の定時間後、同僚LNとMbour(Dakar南東100Km)の教育委員会に出張した。
フランス協力団体から寄贈された壊れた中古PCの山を使えるようにしろという要請。全部をばらばらにして使える部品を寄せ集めて、数台のマシンを復活&パワーアップさせた。2人で明け方まで作業を続けた。こういう仕事はやりがいもあって楽しい。
2003/04/28
午後から職場の会議があるので、Dakarに向かった。
これがホントの東奔西走か。
2003/04/27
Koussanarの村落隊員S宅を突然訪れてびっくりさせようと向かった。途中で車がパンクした。トラブルは楽しい。
2003/04/26
同期の村落隊員Y宅を訪れるべく、Kounghuel(Dakar東400Km)に向かった。
内陸部はやはり暑い。NIGER隊員もNIGERと変わらないと言う程だ。45度は超えている。
2003/04/25
StLouisの漁村を散歩した。カモメを素手で捕まえている少年たちがいて、びっくりした。海老を食べ、Dakarに戻った。
深夜、NIGERからのもう1人の任国外旅行者、視聴覚隊員Nが到着。空港で出迎え、ぜんぜん変わっていない様子を見て、ジーンとした。
2003/04/24
StLouis(Dakar北300Km)に行った。夜は、なぜか消防署内にあるBarで閉店まで飲んだ。
安いドミトリーに泊まった。考えてみると、セネガルで宿に泊まるのは初めてだった。
2003/04/23
5月に行われる予定の教育省主催のイベント「基本教育週間」の準備のため、局内はてんてこ舞いに忙しい。最近昼飯をとる時間も無い。
夕飯は久しぶりにトウ(トウモロコシを練って魚スープに浸したブルキナファソ料理)を食べた。200F。
2003/04/22
同僚LNにハードディスクの取出し&IDEケーブルについて説明した。
夜はMedinaで同期隊員達と飲んだ。
2003/04/21
昼過ぎにNIGERから同期隊員が任国外研修旅行として訪れるので、空港に迎えに行くべく、日の出前にTattaguineを出発した。
飛行機が2時間ほど遅れたので、海辺の岩の上で寝転んで考え事をした。
NIGER工作機械隊員Hに空港で再会した。感動した。
2003/04/20
Tattaguine野菜隊員O宅を訪れた。村落隊員Iも加わってビールを飲みつづけた。
2003/04/19
Thiesの自動車整備隊員M宅に泊めさせてもらった。午前中、語学訓練の手伝い(といってもセネガル茶を立てていただけだが)をしてからKaolakに向かった。
青少年隊員T、村落隊員Y、空手隊員M、と合流し、Gandiaye野菜隊員F宅に押しかけ、朝5時まで外で飲んだ。
2003/04/18
新隊員の語学訓練の手伝いのため、Thiesへ行った。ただし、まだまだ通訳をするには至らないなあと痛感した。
でも、1年振りに会った講師も居て、雑談ははずんだ。
2003/04/16
よい朝だった。Ngorまで海を見に行った。
部屋に戻ってからサンドイッチと紅茶で朝食をとった。
2003/04/15
新Dakar隊員Mの住居の下見に行った。同僚のMrs.Sのすぐ近所だったのでびっくりした。
2003/04/13
ThiesからDakarに戻った。一般短期隊員のS君が家に突然泊まりに来た。
夜遅くまで飲んで楽しかった。
2003/04/12
Thiesのホームステイ先を訪れた。ステイ先が同じ先輩後輩隊員4名でNdiaye(苗字)の会というのを作って突然押しかけて驚かすというものだ。みんなちょっとびっくりしていたが、大皿を家族みんなで食べて、とても楽しい1日であった。
2003/04/10
ちょうど1年前のこの日、セネガルに到着した。
空港に降り立った時感じた潮の香りとドキドキしていたことを思い出した。
2003/04/08
14年度3次隊が到着した。象牙海岸共和国からの振替隊員(クーデタのため日本で待機していた)も無事に到着。1年前、Parisの空港で別れた同期もみんな元気で感慨深かった。
2003/04/06
先輩隊員の作ってくれたカレーとチーズとフランスパンでサンドイッチの朝食だった。
とても豪華でうまかった。その場でロイヤルサンドイッチと名付けてしまった。
2003/04/05
Louga(Dakar北250Km)の先輩隊員Sさん宅(村落開発普及員)宅を訪れた。
早めに着いたので、Lougaの街を探検していたら体育館の中にあるBarを発見した。
2003/04/04
セネガル独立記念日の祝日だった。TVではDakarの街中を軍隊がパレードしている様子をずっと映していた。植民地支配されていた国の独立というのは、きっととても意味があるのだろう。
2003/04/03
赴任1年目のイベントとして大使公邸で食事会があった。
ちらし寿司などをいただいた。招待した職場の上司も喜んでくれたようだ。
2003/04/02
JICA事務所で交通安全講習会があった。
僕はバイクには乗っていないが、カール利用率はとても高いので気を引き締めなおそう。
2003/04/01
赴任1年目の中間報告会があった。協力隊員としての活動はまあまあだと思うし、1年間病気無しで生活できているので、これでよいと思う。
2003/03/30
ソフトボールチームで飲み会をした。
韓国チームと合同だと勘違いしていたので、ちょっと残念だった。
2003/03/29
12年度3次隊の送別会だ。時の流れを感じたせいかどうか、昼間、大西洋が180度見渡せる灯台がある山に登った。寝転びながらいろいろ考えた。
2003/03/28
久しぶりに下町に飲みに行った。
最近忙しいが、週末はどうしてもこうなってしまう。
2003/03/26
JICA事務所に3号報告書を提出した。
4月で赴任から1年を迎えることになる。長かったような、早いような。
2003/03/24
フランス語教室後、隊員連絡所に行くためにバス停でバスを待った。
待っている間、フランス語教室の同僚のギニアビサオの外交官と立ち話をした。ポルトガル語を少しだけ教えてもらった。
2003/03/23
NdofaneからDakarに戻った。帰りの車の乗り継ぎもうまくいって、効率よく帰ることが出来た。地方に出掛けた帰りはいつも感じるが、Dakarに近づくと風が涼しくなる。
2003/03/22
Ndofane(Kaolakから南東30Km)の野菜隊員H宅を訪れ、彼の手掛けた畑を見せてもらった。
乾いた大地に作った小さな畑であったが、オクラやキャベツが元気に育っていた。
2003/03/21
仕事後にKolackに向かった。熱が出た隊員宅の見舞いに行ったが、行き違いでDakarに上京したと、近所の少年らが教えてくれた。
2003/03/20
フランス語教室後に調整員宅で夕食をご馳走になった。
2003/03/19
交通省地図作成局に主張して、修理したノートPCとプリンタを納めた。
2003/03/18
公用パスポートをびしょ濡れにしてしまったので、再発行の手続きをした。
JICAも大使館領事もとてもすばやく対応してくれて、ありがたい。セネガルのIDカード発行に半年以上掛かったのはどうしてだろう。
2003/03/17
週が明けた。8時に出勤して午前中いっぱいXpertの講習だった。
フランス協力団体のマダムDが先生で、僕も生徒のひとりという立場だが、先生の補佐というような感じだ。
講義中にも挨拶に入ってくる人が多く、授業が中断になり、停電もあり、彼女もまいったなー、という感じだった。僕にも彼女の気持ちがよーくわかる。
2003/03/16
Toubacoutaからの帰り、Diossong村に寄った。同期隊員が住んでいる。
街道からそれて1kmくらい荒野を歩いていくと、村が現れる。電気のない家なので、ソーラーパネルでバッテリーに充電して少しだけ電気が使えるという暮らしだ。
そのシステムが調子悪いということだったが、解決できなかった。勉強不足を感じた。
2003/03/15
後輩隊員とマングローブ林をカヌー探検した。途中転覆して漁船に助けられたりして、のんびりとした忘れられない休日を過ごすことが出来た。
2003/03/14
セネガル南部、ガンビアの国境付近の町Toubacoutaに旅行した。
国境ではパスポートチェックの小屋があるだけで、簡単に行き来が出来るようだ。
ガンビアの公用語は英語なので、往来する人やラジオも英語が混じりおもしろい。
2003/03/13
タマハリットの日だ。イスラム暦の新年(日没後)である。夕飯は家族そろってクスクス(穀物の粉をふっくら炊いた料理)を食べるらしい。
フランス語の先生も、今日はクスクスを食べるぞ。と嬉しそうに帰っていった。
僕は同僚FA宅に突然お邪魔して、みんなでクスクスを食べた。うまかった。赤ん坊は蚊帳の中でぐっすりと寝ていた。
2003/03/12
同僚FAの赤ちゃんのバプテム(名付けの儀式)の日だった。イスラムでは生まれてから一週間後に名付け式を行う。それまでは名前無しというわけだ。
ところで、職場のほとんどはバプテムに行ったのに、僕はフランス協力団体と来週からのXpert講座の準備だった。なぜだ。
2003/03/12
最近やたら忙しい。
くたくたになって飲んで寝るというリズムになりつつある。夕飯もまともじゃない。
2003/03/09
大使館医務官の帰国送別会があった。以前、空手で手首を捻挫した時にお世話になったが、あれからずいぶん経つなあ。
2003/03/08
同僚FAのお見舞いに行った。男の赤ん坊も、元気そうだった。
抱いたらとても小さかった。でも彼はちゃんと目を開けて僕のほうを見ていた。
夕方、別の同僚の結婚式に出た。彼女のオフィスに浮世絵が張ってあったこともあり、お祝いに日本の扇子をあげたら喜んでくれたようで、式の間中開いて持っていてくれた。
2003/03/05
すぐ近所にまたしても安酒場を発見した。看板などは出ていないので、発見しがいがある。
同僚FAの赤ちゃんが生まれたとの連絡を受けた。
5人目だそうで、めでたいめでたい。
2003/03/04
仕事後に下町で飲んでから、映画を見にいった。アクションものだったので、観客もピーピーワーワー大喜びであった。
セネガルでの映画鑑賞は観客一体という感じがある。ラブシーンになると「ひゅーっ」って冷やかすような声を出すし、悪をやっつけた時はみんなで大喜びする。映写機もフィルムも古いためか、ちょくちょく画像がおかしくなるが「ピー、何しとんじゃい!」のような大ブーイングがいっせいに湧きおこる。こういう雰囲気もなかなかよい。
2003/03/03
WordやPowerPointといったソフトの使い方を意欲的に知りたがる職員が増えてきた。いままで「教えてくれ」「知りたいんだ」と漠然と言っていた人が、日時を指定して頼んでくるようになった。少し進歩だと思う。
2003/03/02
隊員連絡所にTVアンテナを取り付けた。ケーブル代を節約するため、以前から張ってあった古いケーブルをそのまま利用することにしたが、継ぎ目も多くどこが悪いのか特定するのに手間取ったが、無事にきちんと映ったので、ほっとした。
2003/03/01
教育省の守衛さんの家に昼飯をご馳走になりに行った。
ダカール郊外に家族と住んでいる。普段は制服とピストル装備も憲兵隊の彼も家庭では普通のおっちゃんであった。
2003/02/28
仕事後に下町に出掛けた。週末なので。久しぶりに映画に行った。シリアスな映画の場合、言葉がよく分らないので内容もよく分らない。ビールを飲んで帰った。
2003/02/25
久しぶりに朝飯を家で食べた。パンとチーズと紅茶。なかなかよい朝であった。 グルタペ地区にある聾学校のPC不具合のため出張した。ログインするユーザーによって、OFFICEが起動しなくなっていた。なぜだろう?しかも、いじくっていたら直ってしまった。なぜだろう?
2003/02/24
朝、長距離バスでダカールに帰ってきた。職場では日本から視察に来ているJICAの方との会議があったり、月曜の定例会議があったりで忙しかったが、眠かった。
2003/02/23
町の人のお宅に泊めさせてもらい、ファナイでの朝を迎えた。荒野に吹く朝の風はとても気持ちがよかった。
2003/02/22
セネガル北端の町、ファナイへ行った。先日亡くなった隊員が活動していた畑を見せてもらった。おいしいトマトがなっていた。
2003/02/20
フランス語教室のクラスにはアフリカ諸国の方も習いに来ている。いろいろな経歴の方がいそうなので興味深い。
2003/02/18
フランス語教室が始まった。語学もきちんとやらなければいけない。
2003/02/17
ソフトボール西アフリカ大会だったが、結局僕は行かなかった。
2003/02/15
亡くなった隊員のお別れ会があった。
自分が21歳だった時のことを考えたりして、とても受け入れがたい出来事である。
2003/02/12
JICA事務所で少し手伝いをした後、ルフィスクの同僚LN宅へ行った。
今日はタバスキ(イスラム最大のお祭り)だ。複雑な気分であったが、ムトン(羊肉)を少しだけ頂いた。
2003/02/10
悲しい出来事が起こった。セネガルの後輩隊員が亡くなった。
21歳という若さで。
2003/02/9
ソフトボール練習だった。大会前の最終練習日ということで、みんな気合を居れてやった。大会では周辺諸国から多数のチームがやってくるらしい。
2003/02/8
マドレーヌ島(別名ヘビ島、ダカールの西約5Km)付近で釣りをした。大きなシマアジ(約50cm)が釣れた。夕飯に刺身で食べた。おいしかった。
2003/02/7
髄膜炎という病気がセネガルで流行しているらしく、予防接種(注射針は日本製の使い捨てのものなので心配ない)を受けた。接種する医師は打つ前に「痛くな〜い」と日本語で言う。
2003/02/6
分解掃除して直ったはずのCDドライブがたまに読み取らなくなる。掃除が不完全なのか、別の部分に原因があるのか。古いマシンなので再起動するだけでも5分以上かかる。
ハードディスクのカリカリ音をぼんやり聞いていると、機械に操られているようで少し虚しい。
2003/02/5
空手の練習日だった。くたくたになって、帰りに野菜を買って野菜スープスパゲティを作った。
2003/02/3
仕事後に僕の住むアパートに入っている会社に行って、2時間くらいPCの使い方を指導した。デジタルカメラの使い方とPCへの取り込み方、メールに添付する方法など。いろんなところから教えてくれという依頼をされるので、忙しいけどやりがいがある。
2003/02/2
ソフトボール西アフリカ大会に向けての練習だった。韓国合同チームを結成したので、練習も合同で行う。韓国の協力隊(KOICA=Korea International Cooperation Agency)の方とも知り合いになれたし、スポーツを通しての交流は楽しい。
2003/01/31
フランス語教室に通うことにした。朝、入学テストを受けた。日々、もっと相手の言っていることが分ればなあと感じる。語学は、とにかくたくさん会話をしたほうがよいと思う。
2003/01/30
仕事後に産休中の同僚FA宅へ行き、夕飯をご馳走になった。2月中旬のタバスキ(イスラムの祭)頃に出産予定、歩くのも大変そうであった。
5人目だそうで、すごい。
2003/01/29
ダカール大学に日本人教授の講演を聴きに行った。テーマは「日本と南の開発」。職場の同僚も偶然来ていて、彼は熱心に質問をしていた。ダカール大学はとても広く立派な学校だ。
学食もとても安い(夕食150F)。図書館も最新の設備が整っていた。構内をタクシーが走っているのには驚く。
2003/01/28
JICA理事がセネガルにやってきた。職場の同僚も一緒に懇親会に出た。セネガル人の通訳の人がとても簡単そうに日仏の通訳をしているのを見てたまげた。
2003/01/27
昼休みに同僚MF宅に行って、おかしくなったというPCを見にいった。間違えてCDを入れたためにウインドウズの再インストールを始めかけてしまったらしく、途中でやめれなくなってしまっていた。「考え処理中にぱっとキャンセル」できればいいなと思う。
さらにMS-Word でアラビア語のフォントの大きさを変えられなくなっている。他のアプリケーションでは可能なのに。Word を再インストールするのが早いかな。
2003/01/26
空手の先生とFoundiougne(フンジュン/ダカール南東300Km)へ行った。現地の隊員らが昼食を用意していてくれた。その後、空手をした。セネガル人と戦うのは初めてだったのでよい経験になった。フェリーで出発する時、みんなが最後まで見送ってくれた。フンジュンはとてものどかでよいところだった。
2003/01/25
午前中に買い物をして昼飯を作った。野菜スープがうまくできた。その後「ドリトル先生アフリカに行く」を読んだ。彼のように動物と話せるようになったら楽しいだろうな。
2003/01/24
2月に行われる西アフリカソフトボール大会は韓国と合同チームを結成して参戦することになった。今夜は「チーム編成の話し合い兼、飲み会」であった。韓国チームの奥さん達がいろいろと本場料理を作ってきてくれた。韓国人らは「かんぱい」日本人らは「クンペー」。会話は仏英韓日身振り手振り。
セネガルにおける日韓の飲み会は始めてだったらしく歴史的なことだ。知り合いもできたし楽しい夜であった。
2003/01/23
嬉しいことがあった。いつも僕が何かをしていると「また壊しているぞ」と冷やかしてくるソウが「今日からお前を技術者と認めよう」と言ってくれた。彼のマシンのWindowsが起動しない原因をすぐに突き止めたからだ。
仕事をしていると、いろいろ困ってしまうことばかりだが、たまにあるこういう出来事に励まされる。
2003/01/22
空手練習の日だったが、師匠が出張でキャンセルになった。
軽くジョギングをして、夜の街にビールを飲みに繰り出した。もはやBarと呼べるかどうかもあやしいナイスな立ち飲み屋を発見した。
2003/01/21
同僚のAC(フランス人)宅に夕食に招待されていった。夕食とワインはとてもおいしかったが、招いてくれたこと自体がとても嬉しかった。もっと言葉を喋れたらいろいろなことが聞けるのにと思う。フランス語教室にでも通ってみようかな。
2003/01/20
Windowsのインストール作業を無事に終了した。CDドライブ用のIDEスロットが駄目になっていたことと、CDドライブの読み取り部分が汚れで動作しなくなっていたことの複合原因だった。古いマシンも快調に動くようになった。
CDドライブを分解して掃除することに効果があることを知り、動かないままになっていた別のCDドライブも復活させることができた。めでたしめでたし。
2003/01/19
日曜の午前中、近所の屋台でサンドイッチを食べてから読書をした。宮沢賢治の小説。彼の表現するとてもやさしいフレーズが好きだ。彼がどんな人だったのか、会ってみたいと思った。
2003/01/18
今シーズン最後のソフトボールの公式戦だった。アメリカ大使館チームに対して、みんな気合を入れて臨んだけど、大敗を喫してしまった。
2月にソフトボールのイベントがあって、韓国と合同チームを結成することになった。楽しみだ。
2003/01/17
9年前のマシンにWindowsを再インストールすべく、取り組んでいるがうまくいかない。なぜCDを読まないのか。分解してごそごそやってると、ある同僚は「お、奴はまた壊しにかかっているぞ」と冷やかしてくる。
2003/01/16
配属先局長とJICA調整員との三者面談だった。僕の後任者をどのように選定するかという趣旨だ。ただ、僕の任期はあと1年2ヶ月もあり、でもこの時期に後任を要請しないといけないので、的確な意見を出すのはなかなかむつかしい。
2003/01/15
仕事後に日本大使館に行った。今年の空手初練習日だ。強い人と戦うには、もっと勇気が必要だ。
練習後に大使館の守衛さんと仲良くなった。教育省でもそうだが、守衛さんはみな軍隊を経験しているだけに屈強だ。射撃だけでなく柔術も心得ているらしい。
2003/01/14
新隊員と電話局と水道局に契約申し込みに行った。が、相変わらず窓口の係りの人は要領を得ず、契約にも数日かかりそうだ。使えるまでには1週間くらいかかるかな。
2003/01/13
仕事後に隊員連絡所のプレステを再分解して調べたら、どうやらヒューズ交換で直りそうだ。知人宅のドアチェーン設置も早くやらなきゃ。
2003/01/12
セネガル人の知人に結婚式に招待された。軍の施設を借り切っての大規模な式だった。日本で行う披露宴に近い形態であった。若者の多くは洋服であり、日本と同様、西洋化しているんだなと感じた。
2003/01/11
ソフトボールの試合だった。相手は競合セネガルチーム。新隊員の活躍もあって、久々に勝った。嬉しかった。僕は補欠だったけど。。
2003/01/6
ゲーム機プレステ(定格100V)を隊員が間違って250Vのコンセントに直接挿してしまい煙を吐いたらしい。分解してみると、ヒューズが飛んでいた。ヒューズ交換で直ればいいが。
2003/01/5
隊員連絡所で鍋大会をした。チゲ風和味噌仕立て。うまかった。
近所の韓国料理屋でコチジャン(辛い調味料)を分けてもらえた。フランス語で韓国人のおばちゃんに頼み事をするのが変な感じだった。1度韓国を旅行したが「こんにちは・ありがとう」しか覚えていない。簡単なことくらいは韓国語で話せるようにしたいなあ。。
2003/01/4
ソフトボールの試合だった。相手はアメリカ大使館チーム。特大ホームランもお見舞いされ、完敗であった。試合後わがチームの監督、水産業専門家宅でさばきたての刺身で新年会をした。
2003/01/3
マジョップに呼ばれた。マウスが動かないらしい。今はほとんど見かけないシリアルマウス。本体側の端子同士の配線の途中が断線していた。分解修理は楽しい。
2003/01/2
仕事始めだ。元旦しか休みが無いので、正月休という感じはしない。職員もほとんど全員来ているし。昼飯の屋台のおばちゃんもしっかり来ていた。
普通に2003年の仕事が始まった。
2003/01/1
新年を迎えた。よく晴れたすがすがしい年明けであった。
路線バスでYoffまで海を見に行った。照りつける太陽の下、浜辺ではたくさんの子供達がサッカーをしていた。快晴の空が広がり、いつもと同じように時間が流れていた。
帰りに下町のBarでビールを飲んだ。今年も健康第一でやろうと思う。
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アフリカの月と太陽 2002
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アフリカの月と太陽 2004
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アフリカの月と太陽 その後
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