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★ アフリカの月と太陽 2004 ★



2004/04/21
そんなこんなで、いろいろあったけど、無事に帰国。
さて、これからどうするか。きっと、いろいろあるんだろうなあ。

2004/03/26
出国準備のため、電気と電話と銀行口座の解約手続きに取り掛かった。セネガルではなかなか思い通りに事が運ばないので、余裕を持って、かつ強気で係りのオバちゃんと対決しなくてはいけない。すぐに「明日来い」の一言で片付けようとするので、あの手この手の言い訳で(なんでこっちが言い訳するんだろう?)手続きを進めてくれるようにお願いしないといけない。銀行はなんとか1日で解約することができたが、電気電話は「週明けまでに計算しておくから」という決着になった。まあ、これでも順調に進んだほうだと思う。僕もだいぶ気が長くなった。。

2004/03/25
朝、ガラージュ(乗合自動車のターミナル)脇でサンドイッチで朝食をとり、7プラスでダカールに戻った。ダカールに戻ると涼しく(32℃)、潮風を感じた。内陸はやはり暑かった。。

2004/03/24
乗合自動車で東に100km進み、Daraに到着。セネガルのほぼ中央に位置する町、僕は今回初めて訪れた町だ。もっと景色が違うかなあと思っていたら、一般的なセネガルの景色と変わらなかった。でも暑い。日陰で38℃。村落隊員Sさんと近所のセネガル人宅で食事をごちそうになった。新しいTV番組(コント劇みたいなの)が始まったらしく、食事中みんなTVにくぎ付け、時折大うけしながら食べていた。それを見ているほうが面白い。。
食事のあと町を散歩した。空気は暑いだけでなくとても乾燥していて、ダカールとはずいぶん違うなあと感じた。町に2件あるという酒屋のうちの一軒でビールを買った。店のおっちゃんは酔っているようで、言っていることが支離滅裂。まあいいや。Sさん宅で昼間の乾杯。暑い日のビールはうまい。 夕方、Daraをあとにし、さらに内陸の町Linghuelへ。到着したのは夕暮れ時、厚さのピークはすぎていたが、それでも乾燥した暑い風が吹いている。シャレット(2輪の荷馬車)で町外れの湖へ向かった。用水用に人工的に造った湖だという説もあるが、この際細かいことは気にしないほうがいい。この暑く乾いた土地に水のある景色があるというだけで、幸せな気持ちになれる。
夕飯は村落隊員Kさん宅で「ジビテリ(羊肉の炭火焼)」とビール。夜遅くまでいろんな話をした。

2004/03/23
Louga(Dakar北東250km)の町外れにある小さな村Ngidireを訪れた。野菜隊員S宅でバーベキューをした。電気も電話も水道もない生活。でも、彼は炭をおこしてくれて星を見ながら肉を焼いて、ワインを飲んで。とても自然な感じがした。僕はずいぶん便利な生活環境だったけど、こういうふうだったらどうだったかなあ。

2004/03/22
1箱だけ荷物(ダンボール箱)を日本に送付した。郵便小包を利用したら、船便はなくなって、全て航空便扱いらしい。ほんとかなあ?
最終報告書(定期的に提出する活動レポートの最終版)をJICA事務所に提出した。2年間何をしてきたかなあ。いろいろしたような気もするけど、とにかく楽しい2年間だった。というまとめになってしまった。夕飯はフランス文化センタの中庭でバオバブの木を眺めながらビールを飲んだ。風が気持ちよかった。

2004/03/21
日用雑貨を隊員ドミトリ(宿泊所)に届けた。僕も赴任した時、ドミトリの譲渡品コーナーの鍋やラジオを頂き、とても助かった。これからセネガルに赴任してくる新しい隊員も、これらの品々を使うことがあるだろうな。

2004/03/20
自宅の片付けを始めた。物が少ないので簡単だ。掃除は滅多にしていないので、部屋には砂がひどく溜まっている。自分で生活している時には気にならないが、部屋を明渡す時くらいは掃除しなきゃいけないなあと思いつつ。。日本では部屋に砂が積もるなんてことはないからなあ。「砂の降る街」だ。

2004/03/19
金曜日。ついにこの日がやってきた。教育省初等教育局、協力隊員としてのここでの勤務も今日で仕事納め。思えばいろんなことがあったけど、楽しい職場だった。同僚の人間関係に恵まれた。最後まで、一生懸命やることができた。これからも続きそうな知り合いができた。
局内で昼飯、大皿をみんなで囲んで食べた。

2004/03/18
学校の先生を休職して協力隊に参加している2名の隊員が帰国した。新学期に合わせてこの時期に帰国するわけだ。最後にみんなでカーボベルデ料理屋で夕食をとり、見送りのために空港へ。
次に空港に来るときは、自分がセネガルを発つときなのかなと思ったりして、不思議な気持ちがした。
それにしても、先生っていう職業はすごいなあと、自分が先日小学校で授業を初めてしてみて改めて思った。

2004/03/17
フランス語教室の後、クラスメートのDC氏が自宅の夕食に招待してくれた。シオラレオネ人の彼は奥さんと2人の娘さんと暮らしている。内政が不安定なので言葉も不自由(公用語は英語)だがセネガルで働いている。シオラレオネの代表的料理、カサバリーブス(キャッサバの葉をすり潰し塩と油でソースにしたものの丼)をいただいた。クリスチャンだそうで豚肉が入っていた。いろんな国の人と知り合いになれるという意味でも、仏語教室はなかなかいい場所だ。

2004/03/16
「星の王子さま」を読み返した。大人になると見えなくなってしまうもの。そんなものあるのかな。って、見えないので、それすら僕にはわからないのかもしれない。。
夜中の0時過ぎ、突如KOICA(韓国協力隊)の連中が押しかけてきて、飲み会になった。どこかで飲んでて、帰りに寄ったらしい。。

2004/03/15
月曜の仕事が始まった。さて仕事も今週一杯で終了。いつもどおりに働こう。
同僚のおばちゃんのマシンに省内データベースソフトをインストールした。というかインストール作業を手伝った。たしかに僕が居なくなると多少不便になるかもしれないけど、まあ様子見だ。
夕飯はピアノ隊員Sさん宅でモロッコソワレ(モロッコ料理の夕食)をした。タジンやクスクスといった。モロッコの代表的料理をおいしく作ってくれてみんな大満足。夜中の3時くらいまでワインを飲みつづけ帰宅。

2004/03/14
昨夜はとても楽しい送別会を過ごさせてもらった。明け方まで飲んで語った。
さて今日はNiayeの会。語学研修時代のホームステイ先がNdiaye家だった隊員の集まりだ。Thiesの家族にみんなで会いに行った。ヤッサプレ(鶏肉玉ねぎソース丼)をこれでもかというくらい食べた。この家庭で、僕はこの国の文化やいろいろなことを学び、セネガル生活をスタートした。いままで機会があるたびに何度となくここに帰ってきて、まさにセネガルでの実家だったわけだ。兄弟たちが大きくなったいつの日か、またふらっと訪れることだろう。

2004/03/13
送別会であった。いままで多くの先輩隊員方の送別会をしてきたが今回は自分らの番だ。今回の宴会テーマは「花見」。司会者らがYシャツにネクタイ鉢巻き。そういえば会社員時代、場所取りなんかもやったもんだ。毎回恒例の「思い出の品贈呈」には「ドンガルシア」(スペイン製紙パックワイン=うまい安いイカス)を後輩隊員に託した。まあよく飲んだものだ。自宅で、隊員ドミトリで、安酒場で、夜通し浜辺で飲んだこともあった。なんだかまだ送り出されるという気分にはなり難いが、協力隊員をやってよかったなあ。

2004/03/12
同僚AMにパワーポイントの使い方講習をした。「1時間でできるやつを頼む」と言われ、まあ時間的にも内容的にもうまく教えることができた。
夕飯にJICAセネガル事務所所長宅に招待していただいた。刺身やら鯛めしやら、ダカールは海の幸がうまい。

2004/03/11
仕事後に下町地区をうろうろし、ビールを飲んでレバノンのマネッシュザエタルを食べた。
レバノン人のお姉ちゃんはとびっきり美しいけど、おっちゃんや兄ちゃんは恐い顔をしている。喧嘩になったらさっとナイフが出てきそうな感じ。ただ、向こうが僕のことをどう思っているのか分からないけど、やけに丁寧に応対してくれる。お互い何かを感じてちょっと距離を置いている感じ。かな?考え過ぎかな?

2004/03/10
昼休みにダカール大学の図書館に行った。キャンパスの雰囲気はなんだかのどかだ。日本のそれと似ている。学食でチュウを食べた。コンゴ人の学生と席がたまたま隣り合わせになり、日本語を少し教えた。学食なのにビールが置いてあるところがちょっと不思議。
仕事後の仏語教室では「手紙の書き方」を習った。簡単な文章なら、けっこう書けるようになっているんだなあと、楽観的な実感。そうそう、セネガルに来て、僕が少し変わったことと言えば、以前よりも楽観的な考え方になった気がする。

2004/03/09
JICAの調整員(協力隊員の面倒をみてくれる係)が職場にやってきた。同僚と局長を交え、任期終了に関する会合だ。まあ、特に問題なくやってきたので、難しい話はないけど。僕が去ったあと、次の隊員(後任隊員)は募集する方向に決まった。僕の配属先である教育省初等教育局は全国の6,000の小学校や聾学校を管轄しているので、今後のシステムエンジニアとしての協力活動も自由度が高く、やりようによってはとてもやりがいのある活動ができると思う。
仕事後にPodor(セネガル最北端の町)で活動している自動車整備隊員Hさんと飲みに行った。2件ハシゴしたあと、うちに泊まりに来てもらってワインを飲んだ。ドンガルシア。うまい!

2004/03/08
月曜になった。昨日までの全国ツアーの興奮も覚めやまぬまま、普通に出勤。同僚のRG氏のノートPCが起動しなくなったらしい。アンチウイルスソフトは、起動の部分も弄くってくれるのでまったく困る。昼飯はいつもの屋台でチュブジェンを食べた。おばちゃんに「もうすぐ帰国するから来れなくなっちゃうなあ」って話をしたら、いつもサービス大盛りなのに、特盛りにしてくれた。2年間食べつづけたこの屋台。僕のからだの大部分の細胞はこのおばちゃんの作る飯が源なんだろうなあ。

2004/03/07
全国ツアー3日目。第1ピリオド最終日。大袈裟に全国ツアーとふれ回っているけれど、今回はこの3ヶ所だけ。
朝9時、となり村のチャージャイから野菜隊員H君も応援に駆けつけてくれて(というか呼出したんだけど)、ビールで乾杯。景気をつけて朝ライブを決行。昨夜の方が人も多かったし盛り上がったな。でも、3ヶ所でライブをやれて、こんなことした隊員今まで居たのかな?分からないけど、とにかくとても楽しかった。迷惑を掛けるつもりが、とても歓迎してもらって、やってよかった。村人もきっと覚えていてくれるだろうし。タイバンジャイ、ワジュール、タタギンヌ、みなさんどうもありがとう!
夕方ダカールに帰り着き、打上げってことで中華料理屋で飲んだ。その夜はあっという間にぐっすり寝てしまった。

2004/03/06
全国ツアー2日目。タイバンジャイを出発し、村の救急車に乗せてもらってThiesへ。チャリンコで轢かれたとき、友人が急性アルコール中毒になったとき、救急車にはいい思い出はないけど、今回はらくちんだ。ありがたい。 Thiesからワジュール(ダカール東方200km)までは乗合い自動車。村落隊員Iさん宅に到着、看護士隊員Hさんも揃ったところで、いきなり持参のドンガルシア(パックワイン=安くてうまい)で乾杯。すぐにライブを開始。村の子供らが集まってきた。あるおっちゃんが「いきなりやらずにちゃんと知らせてからやんなきゃ人が集まらないよ」と。でも今回のツアー目的の1つに「みんなをビックリさせる」というのがあるので、これでいいのだ。
今日は強行スケジュール、これからタタギンヌ(ダカール南東150km)へ向かう。途中、乗合い自動車がガス欠!路上で待ちぼうけをくう。これもセネガルタイム(予定通りにいかないよ、ということ)。日もどっぷり暮れ、真っ暗になってしまったがなんとかタタギンヌ果樹隊員Oさん宅に到着。看護士Tさん、野菜Mさんらが夕飯を用意していてくれた。これにはびっくり。しかも、今夜のテーマは「和」。ということで、現地の材料を工夫した日本食をご馳走になった。特に、さつま揚げと大根の煮つけはうまかったなあー。ビールやワインで景気をつけて、23時になった。さて、そろそろ練習するか。ということで、機材を表に出しいきなり大音響で練習開始。ここはセネガルのよい(?)ところ。夜中に大音響を出すことは迷惑ではないらしい。いや、迷惑なのかもしれないけど、文句を言い合わない。ところが音を聞きつけてたくさんの見物客が来てしまった。せっかくだから夜中のライブをやった。夜の方が盛り上がるのかな。みんなすごく乗ってくれた。明け方3時過ぎまで飲んで寝た。

2004/03/05
全国ツアー開始。最初の公演地はタイバンジャイ(ダカール北東70km)。現地で活動している看護士隊員Kさん宅に無事到着後、いきなり近所の方が作ってくれたチュブジェンを食べ、ビールを飲む。今回のツアー目的の1つに「みんなに迷惑を掛ける」というのがあるので、これでいいのだ。
夕暮れ時にライブを開始、音を聞きつけて村人がたくさん集まってくれた。持ち歌が6曲しかないけど、同じ局を繰り返したり、MCを入れたりして、一応形になった。子供らやおばちゃん達も盛り上げてくれて、やってる僕らも楽しめた。ライブでヴォーカルなんて、初めてだった。終了したとき、ジーンとした。
夜はKさんが作ってくれたスパゲィをがっついて、あっというまに寝てしまった。

2004/03/04
ブルーハーツのコピーバンドを結成、メンバーは、村落隊員Y(ベース)、臨床検査技師S(ギター)、と僕(ヴォーカル)の3人。アンプスピーカは隊員ドミトリのカラオケ用を拝借。マイクは非常用メガホン。
今日は最後の練習日。明日からの全国ツアー(?)に向け、深夜まで練習した。

2004/03/03
仏語教室のあと、クラスメートのイギリス人ドイツ人オーストリア人と僕の4人でBarに飲みに行った。みんな英語ぺらぺらだし、彼女らはドイツ語しゃべってるし、話の内容はたわいのないものだけど(多分)。
その後、ふらっといつもの立飲み屋に寄ったらインドネシアの外交官が入ってきて、飲みに行こうという事になり、またBarに繰り出し。。。、まあ、こういうのも国際的で楽しいなあと思った。

2004/03/02
タマハリット(イスラム暦の正月)のため祭日だった。ベルギー人の大学生(研修生としてセネガルに来ている)がうちに来て、夕飯をいっしょに食べた。タイカレーを作ったが、うまくいかなかった。悪くないんだが、焦げ味がする。トマトスープとサラダはうまかった。ワインを飲みながら、夜中まで世間話をした。ベルギーはビール王国らしい。町じゅうでビールを飲むビール祭りなるものがあるらしい。そのうち行ってみよう。

2004/03/01
夕飯に韓国の協力隊の連中を自宅に招いた。サラダもスープもなかなかうまくできたのでよかった。夜中までみんなでワインをたくさん飲んだ。タマハリットといって、イスラム暦の正月の祭りだったので、各家庭ではクスクス(穀物の粉を蒸かし気味に炊いたもの)を頂く。僕のアパートのガードマンが、君らも食べな、ってことでボウルに分けてくれた。これがセネガル流。

2004/02/29
ダカールに戻ってきた。週末を利用してセネガルのいろいろな町を旅して周ったけど、帰国までもう残すところ、週末も数えるほどしかない。なるべくいろいろうろうろしようと思う。

2004/02/28
ファナイの町を訪れた。YN君が暮らしていた土地だ。現在は村落隊員Hさんが活動している。近所の人が作ってくれたチュブジェンを昼飯にご馳走になり、畑を見に行った。YN君ともHさんとも一緒に農作業をしているアマドゥ君がバイクで畑まで送ってくれた。昨年訪れたとき、畑が遠いからバイクが欲しいなあと言ってたのを覚えている。特に風景は変わらないけど、少しずつ時は流れているんだと感じた。帰りの道中、相変わらすの荒野が広がっていた。
「旅するがいど」→ ファナイ 参照

2004/02/27
昨夜はほぼ徹夜だったが、朝はとてもすがすがしく出勤した。この職場で働くのも残すところあと3週間だなあと思うと、いろんなことが懐かしく(感慨深く)思えてしまう。誰かが廊下を歩いている音の響きとか。
今年度版アンチウイルスソフトのインストール作業を同僚が進めている。マシンによって、ちょっとしたエラーが出ることがあるようだ。なぜだろう。

2004/02/26
そろそろ僕の活動も終了ということで、ちょっとした作業も、カウンタパートFA(同室の同僚)がやってくれるようになった。僕が居なくなってしまう前に、いろいろ手順をおさらいしておかなきゃね、ということで。
夜は韓国料理屋で帰国するボランティア調整員の送別会をした。カラオケ大会。その後、自宅でバンド(ブルーハーツのコピーバンドを村落隊員Y君臨床検査技師S君と結成)練習。朝まで歌い続けてしまった。。

2004/02/25
インターネットの動画が見れないから直せと言われたが、うまくいかない。再生ソフトを入れ直した方が早いかな。マシンを調子悪くする人はたいてい決まった人だ。またか!と思うけど、そういう人ほどいろいろ興味深く弄くっている証拠だとも思うし、そういじって調子悪くして直して、その繰り返しでいろいろ身につくとも思う。実際僕もそうだったし。
仏語教室のあと、東京から出張のJICA調査団の方と食事をした。情報通信分野のお仕事をされている方々だったこともあり、なかなか充実した時間を過ごすことができた。

2004/02/24
空手練習の最終日だった。セネガルで初めて空手を習い始め、約1年半。練習は結構きつかったけど、合宿をしたりセネガル道場に遠征練習したり、とても充実していた。実力はそうすぐには変わらないだろうけど、ほんの少しだけ勇気が身についたような気がする。

2004/02/23
仕事後に仏語教室に行った。先週は、職場に休暇をもらって出掛けていたので、仏語教室も1週間ぶり。どこに行ってたんだと、クラスのみんなが声をかけてくれる。
最近、豪華なものばかり食べていたので、今日はセネガル食堂でマフェ300F。うまい安い早い。値段は安いけど、これも豪華といえば豪華だなあ。

2004/02/22
本を読んで、のんびりとした日曜を過ごした。トマトとセロリでスープを作ってみたら、とてもうまくできた。
夕方、ホテルインデペンデンスの屋上でビールを飲んだ。ダカールが一望できるし、なかなかいい場所だ。この街のことをずいぶん詳しくなったと思うけど、知らないことも多いんだろうなあ。

2004/02/21
ダカール美術館を訪れた。もう何度も来ているので係のおっちゃんはすっかり僕を覚えていてくれる。民族伝統の祭りの様式などを見れるし、飾ってある木彫りのマスクはとても迫力がある。
夕方アルマジ岬(アフリカ大陸最西端)に行って生牡蠣と焼きウニを食べた。セネガルは海産物が豊富だなあ。

2004/02/20
屋台でヒツジ肉のサンドイッチで朝食をとり、ゴレ島に行った。「奴隷の館」で説明してくれるおじさんの話は、何度聞いても心に残る。
昼飯はいつもの屋台でヤッサとボロヘーを半々にしてもらった。もう長いこと(約2年)この屋台で昼飯を食べつづけているので、おかわりも自由だし、いろいろと優遇してくれる。いつだったか、おばちゃんに「僕のお母さんだね」といったら、「君は私の子供だよ」と言ってくれたことがある。ここで昼飯を食べてるとき、セネガルに住んでよかったなーといつも思う。
夕飯は同僚のFA宅に局長と共に招待され、鳥肉の丸焼きをご馳走になった。

2004/02/19
Thiesに行き、語学研修時代のホームステイ家庭を訪れた。チュウをごちそうになった。その後、Rufisqueに住んでいる教育省の同僚LN宅に寄って、自宅に戻った。
セネガル食堂でマフェを食べてから、中華食堂でビールを飲んだ。セネガル食堂と外国食堂とでは、びっくりするくらい値段が違う。これもこの国の特色だと思う。

2004/02/18
ジュージ国立公園を訪れ、カヌー探検野鳥観察ツアーをした。欧州からの渡り鳥がたくさん集まる季節らしい。
途中のペリカン島(湿地帯の中洲)に無数のペリカンの家族(黒い色のは子供らしい)が休憩していて、壮観だった。せっかく広いんだからもっと分散して休憩すればいいのに。とも思うが、カラスの勝手でしょって言葉もあったっけ。
途中、ワニもたくさんいた。さすがアフリカ。適当に泳ぐと危険だなあ。

2004/02/17
StLouisに出掛けた。臨床検査技師隊員宅で、炭火焼伊勢海老&ブタ肉大会をした。
伊勢海老を丸ごとバクバク食べるなんて、日本じゃできないだろうなあ。

2004/02/16
通勤列車と乗合自動車を乗り継ぎ、ダカール郊外にあるラックローズに行った。いろんな交通機関にもうすっかり慣れてしまったので、移動がスムーズだ。
帰りにスーパーでワインとチーズとスモークサーモンを買って豪華な夕食にした。そうそう、セネガルでは鮭は捕れないようなので、輸入したものしかない。日本の塩鮭ご飯がときどき食べたくなる。

2004/02/15
朝、屋台のサンドイッチ屋でニェベ(豆を煮たやつ)のサンドイッチを食べた。屋台ではたいていおばちゃんが作っているんだけど、今日はかわいいおねえちゃんだった。

2004/02/14
部屋の掃除をした。とても久しぶりに。数えたら6ヶ月ぶりだ。床には砂が一面に溜まっていたので、掃除もなかなか手ごわかった。部屋をきれいにしてみると、なんだか他人の部屋みたいで嫌だなあ。まあ、すぐにまた汚くなるんだろうけど。。

2004/02/13
昨夜の夕飯に野菜スープを大量に作ったので今朝の朝飯も野菜スープ。けっこううまいし、いつもサンドイッチの朝飯だからたまにはスープもいい。金曜なので職場は静かだった。
いつも聞いているフランスのラジオが2日前から音楽ばかりになっちゃって、なんでかなあ。と思っていたらそのラジオで「ストライキ中です。われわれの要求が通るといいと思います。」と言っていた。なるほど。

2004/02/12
下町Medina地区の聾学校に出張した。世界銀行などからの援助でPC十数台が導入され、パソコンルームが設置され、そのオープニングセレモニだった。これから子供達が興味を持って使えるようになったらいいなあ。耳と口に障害を持っていても、PCだったら可能性はたくさんあると思う。
そういえば、昨年11月に設置から設定までをやったのが懐かしい。1度に局内にもたくさん導入されて、ほんとに忙しかったなあ。
「たびっき」→ 2003/11/18 参照

2004/02/11
サッカーアフリカ杯で、モロッコが決勝進出を決めた。在セネガルのモロッコ人たちが独立広場で大騒ぎ。こんなにたくさん居たんだあ。
仏語教室の後、映画「ロード・オブ・ザ・リング /王の帰還」を見に行った。冒険物語は好きだけど、1と2を見ていないので、いまいち話が読めなかったが、城の攻防場面が面白かったけど、戦争の場面を見るといつも思うのは、僕には戦争に行く勇気はないなあ。ということ。

2004/02/10
空手練習だった。ヘッドギアを付けて「顔面パンチあり」ルール。師匠と殴りあう。。また頭が悪くなったかも。練習後は師匠宅で夕食をご馳走になった。カレーがうまかったが、ビデオで年末の異種格闘技戦を見ながら。。

2004/02/09
同僚に呼ばれて、インターネットの便利な使い方を説明した。カレンダを見ると、この職場での仕事もあと数週間なんだなあ。と、不思議な気持ちになる。
仕事後はフランス語教室。レバノン人の店でザエタル(レバノンピザ)を食べて、ビールを1杯飲んで帰宅した。

2004/02/08
朝飯をトゥーバクータ隊員お勧めのサンドイッチ屋台で食べた。屋台のおばちゃんもそこに居たお客も、約1年前に僕がここで食事をしたことを覚えていてくれた。そのおっちゃんは「小学生だけじゃなくて大人にもPCを教えてくれよ」と言うので「子供らに教えるほうが好きです」と答えたら「そうだな、子供らはセネガルの果物の実だからな」なんて粋なことを言っていた。
そんな3日間を過ごし、Toubakoutaを後にした。
「たびっき」→
小学校でパソコン教室 参照

2004/02/07
トゥーバクータの小学校にて、パソコン教室2日目。
朝8時から13時半まで、ずっと立ちっぱなし。疲れただろうけど、分担して文字を入力し、みんなで絵を描いた。一通の立派な手紙が完成し印刷してみた。みんなとても満足そうだった。2日間の教室日程はこれで終了。小学校で授業なんて、初めてのことだったし、うまくいくかどきどきしたけど、とても楽しい充実した2日間を過ごすことが出来た。
この手紙を電子メールで日本の学校に送信し、日本からも返信が来るはず。僕ら協力隊員ができることは、ほんのきっかけに過ぎないんだろうけど、でもこのきっかけから、さらに活発な交流が続いたら、楽しいなあと思う。
その夜はトゥーバクータ在住の隊員らと夕飯を食べた。また明け方近くまで飲んでしまった。駄目だこりゃ。。

2004/02/06
トゥーバクータの小学校にて、パソコン教室1日目。
結局ほぼ徹夜の準備だったので、行きのセットプラス(乗合自動車)では、6時間ぐっすり寝た。昼過ぎに到着、現地在住の養殖隊員NRさんと打合わせをした後、いよいよ教室へ。最終学年の6年生が20人も集まっていてくれた。内容は「パソコンってなに?」と題して、パソコンの各パーツの構成と名前、歴史、役目、現在パソコンでできること。などを説明しながら、実際に各国のニュースなどのホームページを見せたり、ダウンロードした日本の祭りの様子の動画を見せたりした。
終了時間になって、日没になるから早く帰れなきゃだよと先生が言っても、生徒達はまだやりたいまだやりたいと言ってくれて、完全にうまくしゃべれたわけじゃないけど、嬉しくてほっとした。
明日は実際に手紙に写真や絵を挿入して印刷するまでをみんなでやってみる。夜は遅くまでNRさんと準備をした。

2004/02/05
明日からToubakoutaの町でパソコン教室を開く。その準備で、夜中まで、というか朝まで掛かってしまった。もっと早くから地道に用意をしておけばいいんだろうけど、自分に甘いため、直前になって始めてしまう。初めての小学生相手の授業なので、きちんと準備したい。本当は授業のない日なので、興味のある生徒だけが来ることになっている。何人くらい来てくれるか、そもそもうまく説明できるか、楽しみだなあ。

2004/02/04
仕事後、カールに乗ってMedinaに向かった。車がガレージを出発した直後、ちょうど海に向かって走る部分がある。僕はこの瞬間が1番好きだ。並木道の先に大西洋が広がり、向こうにマドレーヌ島が見える。日が沈みかけ、水面がきらきらと光っている。カールの料金を後ろの客に手渡す。手渡し手渡しで一番後ろの車掌にとどけ、お釣りもまた手渡し手渡しで戻ってくる。いつものスパゲティ屋と居酒屋で過ごした。本当に居心地のいい国だなあと思う。

2004/02/03
タバスキ明けの仕事が始まった。みんないつも以上に挨拶を丁寧にする。着ている服もちょっとよそ行き。日本のお正月みたいな感じかな。

2004/02/02
タバスキの振替休日。昨日は同僚LN宅とFA宅、Thiesのホームステイ先をハシゴしてたくさんヒツジ肉をご馳走になったので、今日はトマトスープを自炊してのんびり過ごした。サンダガ市場も閑散としていて、数人しか働いていなかった。街も静かだった。

2004/02/01
セネガルイスラム最大の祭り「タバスキ」だ。僕は職場の同僚LN宅を訪れた。彼が説明してくれるコーラン(イスラム経典)によると、もしお金があったらヒツジを買わなければならないそうだ。そういうわけで、この日の午前中はどこもかしこも飼っていたヒツジをさばきまくっている。。なんとも壮絶な光景。さばいたそばから、炭火で焼いて肉を振舞ってくれ、とてもおいしいんだけど、その横で皮を剥いだり内臓を取り出したり斧でがんがんたたいて角をはずしたり。。まあ、僕が見慣れていないだけで、それが自然の姿というものかもしれない。
「てらんが写真館」→
タバスキ 参照 (ショック画像注意)

2004/01/31
Hann公園を散歩した。さしずめダカールのブーローニュの森といったところだろうか。動物園や植物園、ダカールの喧騒を忘れさせる森林。そして今回、小さな湖を発見した。湖畔のベンチに腰掛け、鳥や森や空を眺めているだけで、幸せな気分になれる。
周りには誰も居ない。土曜日なのになぜだろう。こんないい場所があるのに。

2004/01/30
サッカーアフリカ杯、対ケニア戦があった。3-0で勝利。13時からという昼間の試合であったので、みんな仕事そっちのけでTVを見ていた。僕も職場の守衛所のTVで少しだけ観戦した。得点が入ると、町じゅうから歓声が上がり、車はクラクションを鳴らすが、ワールドカップほどの盛り上がりではなかった。

2004/01/29
残業後に街をぶらぶらした。レバノンのファストフード屋でマネッシュザエタル(レバノン風ピザ)を食べ、道端の串焼き屋でヒツジ肉を買い、いつもの立飲み屋でビールを飲みながら食べた。今日はいつになく客が多かった。
酔っ払いのおっちゃんらと会話をする。僕が外人だからか一生懸命英語で話そうとする。「えーっと、あれ何て言うんだっけ?」とか込み入った話は仏語になってるところが面白い。

2004/01/28
ウエブサイト閲覧によるPCの不具合が多い。よくないサイトを閲覧して、うっかり変なツールバーやらソフトやらをインストールしてしまったり。たいてい原因を見つけ出して削除できるけど「罠」が多いので特にバナー広告などに気をつけて。と助言している。
夜は仏語クラス。今度の先生は文法的に正しいかよりも、言ってる内容がふさわしいかどうかをまずチェックする。例えば「医者は患者の面倒をみる」と答えると、いや「患者の面倒をみるのはたいてい看護士だ」と。確かにそうかもしれないけど、そこでクラスの数人でああでもないこおでもないと議論になり、なかなか進まない。まあこれもけっこういい授業のスタイルかも。

2004/01/27
夕方、職場にて送別会を行った。内務省局長に栄転した同僚ASを送り出そうということで。そういえば僕は会社員時代ずっと宴会幹事だったな。「冬の幸の鍋+飲み放題!」なんてのを格安で探してきたものだ。ここは省庁だからかイスラムだからか分からないけど、そんなことはしない。会議室で挨拶やら記念品贈呈やらをしたあと、お菓子やジュースを食べならが雑談し、いつの間にか解散となる。(会費は事前に1人5,000F徴収されている)
ASとは配属されたときからいろんな仕事をした。彼はいわゆるキャリア組、いろいろ意見もぶつかり、たくさん言い合いもしたけど、振り返ってみればこんな僕とも対等に対応してくれた。

2004/01/26
サッカーアフリカ杯(Coupe d'Afrique Nationale 2004)が始まった。セネガルVSブルキナファソ。試合はセネガル時間の18時から20時。いつもはとても賑やかな街がシーンと静まり返っていた。みんなTVを見ているんだな。と思った。結果は0-0の引分け。勝てると思っていた試合だけに、みんながっかり。翌日の新聞の1面見出しも「謙虚な教訓に」
僕は仏語の授業があったので、TVを見れなかったのが残念だ。次の試合は30日13時から。職場の守衛所で見ようかな。
参考サイト → CAN2004 INFO (仏語)

2004/01/25
ダカールの住宅街にぽつんとあるプールに泳ぎに行った。気温は25℃で水温は19℃。普通に泳げるはずなんだけど、風も吹いていたせいか、寒かった〜。。30分くらい泳いで、寒いので日向ぼっこをした。うむむ。以前から感じていたけど、セネガルで生活しているうちに、身体が完全に「寒がり」になっちゃっている。

2004/01/24
Touba(ダカール東方200km)に旅行した。セネガルイスラム教の2大宗派の1つムーリッド派の聖地だ。列車で行こうと思っていたんだけど、近すぎるからと切符を売ってくれなかったので、無難に7プラスで行くことになった。この方が安いし早いのだ。
約3時間半で到着。セネガルの特徴はどの町に行っても景色がほとんど同じこと。ここToubaもやはりそうだった。でもさすがに聖地。モスケ(イスラム寺院)は周りの世界とは別世界のように手入れが行き届いていた。
帰り道、行きに乗るはずだった列車とすれ違った。どうやら発車が5時間ほど遅れたらしい。まあよくあることだけど。

2004/01/23
明日のTouba旅行のために、列車の切符を買いに駅に行った。9時くらいに駅に着いたら既に売り場は長蛇の列。1時間待ってようやく購入しようとしたら「国際列車だから長距離しか駄目、マリ首都のバマコか国境のキディラまで買え」という。そんなばかな!料金表にもちゃんと載ってるし、前回はちゃんと売ってくれたのに、と抗議しても駄目だった。
たしかに、予約システムがきちんとしてなく、途中下車する人が居るとその席はそこから先空席になってしまう。常に満員になる列車なので、なるべく長距離の客を乗せたほうがよい。しかも僕はただの観光客。地元の人がバマコまでの1番安い交通手段として使っている。また次の機会に列車に乗ろう。

2004/01/22
教育省の同僚だったASが内務省通信組織局の局長に抜擢され異動した。新しい職場のPCの様子を見てくれということで出張したが、機密事項も多いらしくあまり弄くることはできなかった。省内のPC管理の方法などを知ることができた。
最後に昼飯をご馳走になった。「チュウジェン」白いご飯にトマトソースと焼魚をのせたやつ。うまかった。そういえば、僕が配属されたばかりの頃、マウスのコネクタを無理に挿して壊したのは彼だったなあ。「お前はいつも俺のマシンを壊す」なんて言ってたけど、ある日「お前を技術者と認める」なんて言ってくれたのも彼だった。

2004/01/21
職場の同僚と責任意識について話し合った。例えば「あるPCが調子が悪いから見てくれと頼まれ、もしさらに症状が悪くなった場合どう責任をとるか。」ということ。セネガルで僕がたびたび感じたのは責任をなるべく他人になすりつけようとするということ。「おまえが壊した!」といきなり言われることがよくある。徹夜してでも直ればまあいいけど、直らない場合どうしたらいいかということ。一生懸命やって駄目だったから仕方ない、とはいかない。
協力隊員のように、無報酬(生活費は支給されている)で活動している場合、このようなリスクに対して、どうしたらいいんだろう。リスクを避けるために「なるべく何もしないこと」と同僚は言うが、そうなのかな。確かに個人で弁償とかそういうことはできないし。データなどは弁償のしようがない。
そういえば、医療隊員なんかも同じようなことをいっていたなあ。命や後遺症に関わるような決断をしなくてはいけないことがもしあって、失敗のリスクだけを負っているとしたら。うーん。簡単に答えはでないけど、同僚とそういう話をできただけでも進歩かな。

2004/01/20
仕事の合間に電話料金を支払いに行った。支払いの為に待たされている時にいつも思うのは、日本は便利だなあ。ということ。日本だったら自動的に引き落とされている料金をボケーっとみんなで順番を待っていると、虚しくなる。五右衛門のセリフで「無常だ・・」というのがあったっけ。それにしても、窓口の係の人、もうちょっと楽しそうに仕事しようよ。

2004/01/19
友人の買い物につきあい、マルシェ(市場)のジーンズエリアを右往左往した。
セネガルでは基本的に値段交渉して買うので、まず品物の相場を知るために何件もまわって値切りまくり、だいたいの最低価格を把握してから目当ての商品を本気で交渉しなくてはならない。基本は、散々交渉した挙句の果てに、帰る振りをすると最低価格になる。ちょっと待てと呼び止められてその値段で買えるのだが、その方法に失敗したとき(こちらの値が安すぎたとき)は呼び止めてもらえず「まだまだ素人だな」と思わざるをえない。。

2004/01/18
「パリ-ダカールラリー」最終日。僕ら協力隊員30名ほどで、カールを貸しきってコースを見に行った。事前に発表されていたコースによると、マリカの海岸線を疾走する競技車をみれるはずだったんだけど、なぜか全然来ない。。
他のみんなは表彰台のあるゴールに向かったが、僕は自分で読んだ地図を信じて1人海岸に残り待ってみたけど、全然来ない。。仕方ないので誰も居ない海岸線をスタート地点に向かって歩きつづけた。2時間かかって辿り着き、結局のところ、前触れも無くコースが変更されたらしい。乗合自動車の乗り場まで砂道を1時間くらい歩いた。地元の少年ら数人が一緒についてきてくれた。まあこういうこともある。

2004/01/17
「パリ-ダカールラリー」の一団が到着するというので、ダカール郊外のホテルに行ってみた。バイクやら4x4やらトラックやらが次々と入ってくる。ダカールに到着するときには既に順位は決まっているらしく、争って入ってきたりはしない。ホテルの駐車場はビールを飲んだりテントを張ったり、お祭り騒ぎ。砂道を180km/hで走るという競技用トラックを間近に見れて楽しかった。さすがに見たことない板バネや減衰装置が付いていた。
夕飯は同期隊員Y君と昨夜と同じ下町のスパゲティを食ってから飲みに行った。

2004/01/16
夕飯に下町(Medina地区)のスパゲティ屋に行った。油で羊の肉をじゃじゃっと炒めて、玉ねぎを手のひらの上でうまく刻みながらフライパンに加え、卵を落としてもともと茹でてバケツに用意してある麺を盛り付けてからフライパンの中身をたっぷりの油と共に乗せる。これで500F。
ベースは塩と胡椒と油味。。「マジー」という商品名の調味料(マギーブイヨンみたいなの)を普通はかけるが、僕はそれは断っている。とにかく、うまい安い早い。

2004/01/15
葉書を出しに郵便局に行った。接客業じゃないので、別に文句は無いけど、そんなに面倒くさそうに仕事をしなくてもいいのに。これはきっとどんな国でもそうかな。まあ、人それぞれかな。
スペインを旅行したとき、やけにのってる運転手に会ったけど、そうそう、楽しく仕事しようよ。

2004/01/14
仕事帰りに野菜を買って自宅で自炊をした。なんと、1人用の米炊きに使っていた小さくて便利な鍋の取っ手の取り付け部分から、水が微量に漏れ出し始めた。あと数ヶ月もってくれるかどうか。。

2004/01/13
今年初の空手練習だった。特別参加でセネガル人の道場の先生も一緒に練習をしてくれた。彼との組手で思いっきりおでこにパンチを食らい大きなたんこぶができてしまった。。腕と脛にはいつものように青あざがたくさん。防御すればいいんだろうけど、そう簡単にはいかない。

2004/01/12
最近明け方が結構寒くなってきた。といっても19℃だからTシャツだと寒いかなというくらい。そして空が灰色に曇っている。ハルマッタンと呼ばれる季節風のせいで、サハラ砂漠から砂が運ばれてくるかららしい。
日中は晴れて暑くなるけれど、朝はすっきり晴れていたほうがいい。

2004/01/11
スパゲティがうまくできた。トマトと鰯(缶詰)のやつ。ニンニクとハーブが決め手だと思う。ワインは1本1,800Fのスペイン産。フランスワインもうまいけど、僕はスペインの安いワインが1番だと思う。
夜は韓国人のJD氏と明け方まで飲んでいた。

2004/01/10
フランス語クラスの更新申込みに行ったら、人数が集まらないということで保留状態になってしまった。せっかくだから、帰国までクラスを続けたいと思っているのでうまく始まってくれるといいが。セネガルでは、なかなか予定通りにはいかない。

2004/01/09
帰国便の航空券手配のために、旅行代理店を訪れた。協力隊員は帰国時に2週間、寄り道をしていいことになっているので何処に行こうかな。中東に寄りたかったけど情勢不安定のため許可されないらしい。
任期はあと3ヶ月ちょっとあるけど、帰国の手配なんか始めると、そろそろ終わっちゃうのかなあと複雑な気分になる。

2004/01/08
同期の村落隊員Y君と臨床検査技師のS君が泊まりに来た。
とりあえず作ったトマトサラダをつまみに飲んで、韓国料理屋で飲んで、その後僕の部屋で鰯の缶詰(ニンニクとハーブでソテーしてみた)を肴に飲みつづけ、結局ワインが何本空いたんだろう。。
ところで、この鰯缶(300F)はとても役に立つ。うまい安い早いの3拍子は基本。

2004/01/07
係の引継ぎをした。これで幹事会としての役目を終えたことになる。レバノン式のファストフード店でマネッシュザタール(胡麻とハーブを載せたピザみたいなの)を食べてたら、強風で砂埃がバーッと入ってくる。胡麻とハーブと砂のピザになってしまう。。

2004/01/06
年2回のイベント、協力隊員が全員集まって話し合う「隊員総会」があった。僕は幹事会という係をしているので、いろいろ準備を進めていたが、無事に終わったのでよかった。夜はカラオケ大会になり深夜までみんなで歌い続いた。

2004/01/05
今年の初出勤。「明けましておめでとう!」「去年1年間の罪を許してね」などと挨拶しながら、左右左右と頬に4回キスをしあう。もちろん、性別に関係なくみんながお互いに。フランス式はこのようにするので、それがセネガルに定着してしまったのだろうと思うけど、日本人の僕にはちょっとドキドキする。

2004/01/04
YN君のご家族と夕食を共にすることができた。家族の1人を亡くされた気持ちは僕には分からないけど、この地で一緒に協力隊活動をした彼を僕は忘れない。「前を向いて生きていこうと思う」とおっしゃられたお母様のお言葉がとても心に残った。どうぞお気をつけて帰国されて下さい。そして、もし機会があれば、またセネガルを訪れて下さい。セネガルは「テランガ精神」の国、いつでも大歓迎です。

2004/01/03
ダカールの町は静かだった。フランスに帰国した仏語の先生からメールが届いた。パリは寒いらしい。

2004/01/02
クンゲルからダカールに戻ってきた。昨年2月に亡くなった後輩隊員YN君のご家族がセネガルを訪問されている。合流しようかとも思ったが、彼の同期隊員らが同行しているので、後日お会いしようと思う。来月、彼が活動していたファナイの町を再び訪れようと思う。
「旅するがいど」→
ファナイ 参照

2004/01/01
セネガルで2度目の新年をクンゲルで迎えた。早起きをして同期村落隊員Yと初日の出を見に行った。荒野から昇る朝日もなかなかよかった。
今年は4月に帰国し、これからの進路を決めないといけない。またアフリカで働きたいと思う。どんな1年にするか、とても楽しみ。

アフリカの月と太陽 2002
アフリカの月と太陽 2003
アフリカの月と太陽 その後






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